建勲神社
旧別格官幣社。
織田信長 を主神とする。
ご神紋は「五瓜に唐花」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
清少納言『枕草子』や吉田兼好『徒然草』にも登場する船岡山に鎮座。古来より景勝の地であった一方で、葬送地でもあり、保元の乱に敗れた源為義もここで刑死した。五山の送り火がよく見えるとのこと。
写真は北大路通りから。
船岡山中腹から。
社号標
昭和15年(1940年)6月とある。
鳥居
社号標を通り過ぎ3分ほど歩くと鳥居が出迎える。
形式は一般的な明神鳥居であるが素木造りは珍しい。台湾産の紅檜を使ったもので、昭和9年(1934年)に建てられ、平成12年(2000年)に改修、今に至るとのこと。
境内
由緒書
灯篭
旧本殿跡
碑が昭和45年(1970年)11月10日、宗教法人・修養団捧誠会によって奉納され、旧本殿跡に建立された。「大平和敬神」と記されている。
手水舎
社務所
祭器庫
拝殿
正面3間側面2間入母屋造妻入檜皮葺の舞殿形式。
中門
本殿
1間社流造檜皮葺。東を向く。
摂社・末社
船岡妙見社
本殿南側に鎮座。
義照稲荷社
本殿東側に鎮座。境内入口のすぐ近くにある。
碑など
織田信長は幸若舞の「敦盛」を好んだ、と伝わる。平敦盛は平清盛の甥。一ノ谷の戦いにて熊谷直実と一騎打ちを行い、17歳の若さで討死。平家物語の名場面の一つとなっている。
神社概要
主神:織田信長
配祀:織田信忠
例祭:7月1日(旧制では9月17日)
由緒
明治2年(1869年)建織田神の神号を宣下せらる。
明治3年(1870年)東京織田子爵邸ならびに羽前国天童舞鶴山に神社を創立、建勲神と改称せられ、勅使右少弁五辻安仲を遣わして奉告せしめる。
明治5年(1872年)織田子爵邸火災に遭ったので、更に清浄なる所を選んで祀る。
明治8年(1875年)4月24日 別格官幣社に列格。社地を山城国船岡山に卜して社殿を営む。
アクセス
地下鉄:
バス:
自動車:
- JR京都駅から 自動車20分
出典
建勲神社パンフレット
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月15日奉拝。