神社奉拝

官国幣社巡りの記憶

建武中興十五社

建武の新政」を覚えておいでであろうか。鎌倉時代室町時代という武士政権の時代の狭間、3年ほどの天皇親政を謳った政治体制である。後醍醐天皇の事績として著名であろう。

新政の詳細は教科書などに譲るとして、今日は「建武の新政」670周年。

後醍醐天皇やその皇子たち、仕えた武将を祀る神社をまとめて

建武中興十五社

と呼ぶ。

 

この記事では建武中興十五社についての記事リンクをまとめる(未執筆分あり)。

 

 

吉野神宮 (官大、奈良県

後醍醐天皇を祀る

 

鎌倉宮  (官中、神奈川県)

護良親王を祀る。征夷大将軍相模国で幽閉、殺害される。

 

井伊谷宮 (官中、静岡県

宗良親王を祀る。一品、中務卿

 

八代宮  (官中、熊本県

懐良親王を祀る。一品、式部卿、西征大将軍。

金崎宮  (官中、福井県

尊良親王恒良親王を祀る。金ヶ崎の戦いにおける南朝の皇子たち。

 

小御門神社(別官、千葉県)

藤原師賢を祀る。正二位、大納言。元弘の乱では天皇の身替わりとなった。下総国に配流、薨去

菊池神社 (別官、熊本県

…菊池武時、菊池武重、菊池武光を祀る。武時は菊池氏第12代当主、鎮西探題に対して挙兵した。武重は第13代当主、肥後守、武光は第15代当主。

湊川神社 (別官、兵庫県

楠木正成を祀る。従五位下、河内守・摂津守、記録所寄人。

名和神社 (別官、鳥取県

名和長年を祀る。従四位下伯耆守、東市正。尊氏に敗れ戦死。

阿部野神社(別官、大阪府

北畠親房北畠顕家を祀る。親房は従一位、准后。顕家は親房の長男で正二位、権大納言鎮守府大将軍。

藤島神社 (別官、福井県

新田義貞を祀る。新田氏第8代当主。正四位下左近衛中将。藤島の戦いにて戦死。

結城神社 (別官、三重県

…結城宗広を祀る。白河結城氏第2代当主。

霊山神社 (別官、福島県

北畠親房北畠顕家北畠顕信北畠守親を祀る。顕信は親房の次男で従一位、右大臣。守親は顕信の次男で正二位、大納言。

四條畷神社(別官、大阪府

楠木正行を祀る。正成の長男で従五位下、河内守、摂津守。四條畷の戦いに敗れ自害。

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北畠神社 (別官、三重県

北畠顕能北畠親房北畠顕家を祀る。顕能は親房の三男。従一位、右大臣。

 

 

藤島神社

福井県福井市毛矢に鎮座する神社。

別格官幣社

新田義貞 を主神とする。

 

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ご神紋は「丸に一引き」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

参道と境内

境内まで

福井市民の憩いの場、足羽山。日本さくら名所100選にも指定されるこの山の中腹に藤島神社は鎮座する。祭神・新田義貞は延元3年(1338年)藤島の戦いにて戦死しているが、その地が今の福井市にあたる。

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社号標

昭和26年8月25日 従二位勲三等鷹司信輔による書とある。

 

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境内 

一の鳥居

明神鳥居である。

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手水舎

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二の鳥居

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獅子・狛犬

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拝殿

檜皮葺、正面3間、側面2間、廻縁・勾欄付きで入母屋造平入、謂わゆる舞殿風の建物。

と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。 

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本殿

一間社流造、千木堅魚木を具える。檜皮葺。

と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。 

また、向唐破風造の中門が本殿と拝殿の間にかつて存在していたようであるが現在は本殿と拝殿が建物によって結ばれている。

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宝物庫

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摂末社

野神神社

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社務所

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祈祷受付所

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神社概要

鎮座地福井県福井市毛矢

社格:旧別格官幣社

主神新田義貞

配祀新田義宗脇屋義助新田義顕新田義興、殉難将士

例祭:8月25日

  

由緒 

吉野朝の忠臣義貞は延元3年(1338年)に越前国吉田郡西藤島村燈明寺畷において戦没する。のち江戸時代、明暦年間(1655 - 1658年)この地に古兜を発掘、ついで明治3年(1870年)、福井藩知事 松平光通は同旧跡地に「新田義貞戦死此所」と刻せる石碑を建て、俗に「新田塚」と云ったが、明治3年、福井藩知事 松平茂昭は一祠を興し、ついで公を奉祀する官幣社の建設を上申した。

 

明治9年(1876年)11月7日、上祠に対し現社号を賜い、別格官幣社に列し、新田義貞公を主神とし、上祭神の配祀の旨仰出される。

明治10年(1877年)12月、仮殿落成により勅使を差遣して霊代を鎮安せしめられた。

明治11年1878年新田義顕公・同義興公以下殉難将士配祀の旨仰出される。

明治14年1881年)燈明寺畷の南13町余の西藤島牧ノ島に社殿を造営したが、社地陰湿にして水災の惧があるので、34年(1901年)更に現地足羽山の中腹に新築遷祀した。

昭和23年(1948年)神社本庁別表神社に列格。

 

アクセス

鉄道

自動車

  • JR福井駅からから 自動車7分 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

長田神社パンフレット

 

公式ホームページ:

fujishima-jinja.jp

 

北野神社

 

令和元年(2019年)8月14日奉拝。

枚岡神社の摂末社

大阪府東大阪市出雲町に鎮座する枚岡神社

その摂末社を紹介する。

 

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ご神紋は「下がり藤」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

 

摂社・末社

若宮社

本殿南側に鎮座。天児屋根命御子神 天押雲根命を祀る。摂社。

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天神地祇

本殿南側に鎮座。明治期に境内の末社や周辺の神社を合祀した社のようである。末社

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本殿から末社に至る参道。

 

 

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遥拝所

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アクセス

鉄道

自動車

  • JR大阪駅から 自動車22分

 

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

 

公式ホームページ:

www.hiraoka-jinja.org

 

  

令和元年(2019年)9月30日奉拝。

【揮毫人】東郷 平八郎

神社の入り口にある社名を記した標柱を「社号標」という。

普段、気にすることのない社号標も意外な人が揮毫しているかもしれない。

 

今回紹介するのは、

東郷 平八郎

 

日本海海戦連合艦隊司令長官として臨み、帝国海軍に完勝をもたらした名提督。

 

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東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12年12月(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)

父は薩摩藩士 東郷実友。長男は農商務省官僚や貴族院議員として活躍した 東郷彪 、次男は海軍軍人 東郷実 

薩摩藩士、海軍軍人。

元帥海軍大将従一位大勲位功一級侯爵。

 

薩英戦争で初陣を迎え、戊辰戦争では阿波沖海戦、函館戦争で戦った。

明治4年1871年)から海軍士官としてイギリスに5年間官費留学、国際法を学ぶ。後年の高陞号撃沈事件においてその真価が発揮された。佐世保鎮守府司令長官(第9代)、舞鶴鎮守府司令長官(初代)を歴任。日露戦争にあたっては第一艦隊兼連合艦隊司令長官(第3・4代)に任命され、日本海海戦において勝利を飾る。

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以降、海軍軍令部部長(第8代)、東宮御学問所総裁を歴任。明治39年1906年)に日露戦争の功によって大勲位菊花大授賞と功一級金鵄勲章を授与される。翌年明治40年(1907年)には伯爵を授爵。大正2年(1913年)には元帥府に列せられた。

喉頭癌、膀胱結石、神経痛、気管支炎の悪化により昭和9年(1934年)死去。国葬が執り行われ、イギリス海軍アメリカ海軍、フランス海軍の儀仗隊も葬列に参加した。

Time誌において表紙を飾った初の日本人でもある。

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揮毫した社号標

 

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english-maf.hatenablog.jp

 

 

 

略歴 

明治4年1871年)        イギリス、ポーツマスに官費留学(~11年)

明治24年(1891年)12月14日 防護巡洋艦「浪速」第6代 艦長(~27年4月30日)

明治27年(1894年)6月8日     防護巡洋艦「浪速」第7代 艦長(~28年2月16日)

明治28年(1895年)8月20日   勲四等旭日小綬章功四級金鵄勲章

明治31年(1898年)6月10日      従四位

明治32年(1899年)1月19日   佐世保鎮守府 第9代 司令長官(~33月5月20日

明治33年(1900年)5月20日   常備艦隊 第11代 司令長官(~34月10月1日)

明治34年(1901年)7月19日   勲一等旭日大綬章

明治34年(1901年)10月1日   舞鶴鎮守府 初代 司令長官(~36月10月19日)

明治35年(1902年)10月28日   ロシア帝国 神聖アンナ第一等勲章

明治36年1903年)9月30日     従三位

明治36年1903年)12月28日   連合艦隊 第3・4代 司令長官(~38月12月20日

明治38年(1905年)12月20日   第8代 軍令部長(~42月12月1日)

明治39年1906年)3月23日     イギリス帝国 メリット勲章

明治39年1906年)4月10日     大勲位菊花大綬章功一級金鵄勲章

明治40年(1907年)9月21日     伯爵授爵

明治44年(1911年)10月30日   従二位

大正2年(1913年)4月21日       元帥府に列せられる

大正7年(1918年)11月20日     正二位

大正15年(1906年)3月12日     ポーランド共和国 グランクロアオドロゼニアポルスキー勲章

大正15年(1926年)11月11日   大勲位菊花賞頸飾

昭和9年(1934年)5月29日       侯爵授爵

昭和9年(1934年)5月30日       従一位国葬(葬儀執行:6月5日)

 

 

枚岡神社

大阪府東大阪市出雲町に鎮座する神社。

名神大社河内国一宮、旧官幣大社

天児屋根命比売神武甕槌命、斎主命を祀る。

 

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ご神紋は「下がり藤」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

 

参道

一の鳥居

東大阪市鳥居町の住宅街から参道が始まる。一般的な明神鳥居である。

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鳥居から境内まで  

石段

枚岡駅(近畿日本鉄道 奈良線)東口出てすぐ。

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社号標

一の鳥居のそばにある社号標は明治10年11月とある。

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二の鳥居のそばにある社号標は内大臣正一位大勲位公爵 三条実美 による書であるとのこと。

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境内

二の鳥居

明神鳥居である。

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境内図

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手水舎

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狛鹿

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拝殿

正面3間、側面2間、廻縁・勾欄付きで、屋根は入母屋造平入檜皮葺、長押下吹放で舞殿風の独立した素木造の建物である。

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祝詞

本殿の前方に建つ。正面1間、側面2間で起こり破風の切妻造妻入、後部1間を吹放とする。左右に透塀が接続している。

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本殿

4棟の本殿が並び建ち、各殿1間春日造で屋根は檜皮葺、木部に彩色が施されている。いずれも文政9年(1826年)の造営である。西を向く。東大阪市指定文化財

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下の写真は枚岡神社ホームページより

 

社務所(鶏鳴殿)

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授与所

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斎館

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参集所

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摂社・末社

 

1月30日の記事をご期待ください。

 

白水井

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神社概要

鎮座地大阪府東大阪市出雲町

社格名神大社河内国一宮、旧官幣大社

祭神天児屋根命比売神武甕槌命、斎主命

例祭:2月1日。

 

 

由緒 

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天児屋根命の後裔 中臣氏の族、平岡連が河内国に貫住するや、その祖神 天児屋根命及び比売神を祀ったに始まり、のち元明天皇の朝、奈良平城京に遷都あるや、藤原氏はその祖神たる本社祭神、並びに東国と最も浅からぬ因縁を結び、一族の崇信を傾けた関東の大社鹿島(武甕槌神)、香取(斎主神)の2神を併せ、奈良の春日野に勧請して春日神社を創立するや、爾後同社を挙族の氏神と仰ぎ、従来、本社に捧げた待遇も自然新興の春日社に遷り、宝亀年間(770 - 781)も遂に春日に追従して鹿島・香取の2神を配祀するに至った。

 

大同元年(806年)神封60戸を寄せられる。

承和3年(836年)以降度々加階あり。

貞観元年(859年)天児屋根命正一位の極位を、比売神正四位上勲六等より従三位を賜う。

貞観2年(860年)武甕槌神、斎主神にも従二位を加えられる。

貞観7年(865年)春日・大原野2社に準じ、春冬2祭に奉幣の制を定められ、以て永例とせられた。

延喜の制、4座並びに名神大社に列し、新年・月次・相嘗・新嘗の案上、官幣及び祈雨の幣に預かり、また武蔵国封戸調庸の租穀を以て修理の料となし、2月・11月上申日に行う枚岡祭には神祇官1人をして弾琴・笛工・卜部、雑色を率いて之に奉仕せしめた。

のち河内国の一宮として一国に宗たる位置におり、平安朝時代を通じて遣使、奉幣等のことがあって朝廷の優遇極めて篤く社運隆盛んであったが、中世に入り藤原氏の権勢衰うると共にその勢も昔日の俤を得なかった。

永万元年(1165年)平清盛は神馬を献じた。

建久元年(1190年)源頼朝は剣・砂金を奉った。

のち足利将軍家の崇信あり。

慶長10年(1605年)豊臣秀頼は社殿の改築をなす。

江戸時代には幕府より100石の朱印領を安堵せられた。

明治4年1871年)5月14日 官幣大社に列格。

昭和23年(1948年)神社本庁別表神社に列格。

 

年中行事

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アクセス

鉄道

自動車

  • JR大阪駅から 自動車22分

 

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

 

公式ホームページ:

www.hiraoka-jinja.org


 

 

令和元年(2019年)9月30日奉拝。

長田神社の摂末社

兵庫県神戸市長田区長田町に鎮座する長田神社

その摂末社を紹介する。

 

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ご神紋は「菱菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

末社

蛭子社・出雲社

本殿西側に鎮座。

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松尾社

本殿東側に鎮座。

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月読社

本殿東側に鎮座。

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稲荷社

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神撫山遥拝所

「神撫山」は神戸市長田区と須磨区を隔てる高取山の古名である。

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アクセス

鉄道

バス

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

長田神社パンフレット

 

公式ホームページ:

nagatajinja.jp

  

令和元年(2019年)6月15日奉拝。

長田神社

兵庫県神戸市長田区長田町に鎮座する神社。

式内名神、旧官幣中社

事代主神 を祀る。

 

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ご神紋は「菱菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

参道と境内

境内まで

神戸市の区でも最大の人口密度を誇る長田区に鎮座する古社。
参道は商店街となっている。

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社号標

長田駅を出てすぐ目に入る社号標は紀元2600年(1940年)記念のもの。

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南鳥居のそばにある社号標は昭和5年(1930年)1月。

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境内 

南鳥居

神明鳥居である。

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境内案内図

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手水舎

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社務所

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儀式殿

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神門

八脚門で、左右に翼廊を結合する。

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授与所

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拝殿

正面5間、側面3間、入母屋造平入の身舎に同じく正面五間の向拝を縋破風にて取り付けた形式で、基壇上に建ち、身舎は板張、正側各柱間は全て扉を建て込み向拝は土間吹き放しである。銅板葺、木部は丹亜の彩色が施されている。 f:id:english_maf:20191012164519j:plain

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本殿・幣殿

本殿 は3間社流造、身舎に内陣・外陣の別あり、廻縁・勾欄を附し棟に千木・堅魚木を具える。向拝柱は中柱を徹し一柱間とし、前面直ちに幣殿に接している。南を向く。

幣殿 は正面1間、側面3間で前部は直ちに拝殿の背面と結合し、床板張、前方部奥行1間は拝殿の背面に沿う左右廊下の入口となり、廊下の両端、即ち拝殿の北東隅及び北西隅に楽屋を連絡する。

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宝物庫

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摂末社

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鬼室

7名の鬼役によって奉仕される「追儺式」は兵庫県重要無形民俗文化財

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神社概要

鎮座地兵庫県神戸市長田区長田町

社格:式内名神、旧官幣中社

祭神事代主神

 

例祭:10月18日。

 

由緒 

神功皇后新羅を平定して凱旋のとき、事代主神「吾を御心長田国に祀れ」との神誨により、山背根子の女長媛をして斎きまつらしめたのを本社創立の起源とする。

 

大同元年(806年)に神封41戸を充てられる。

貞観元年(859年)正月、従五位上勲八等から従四位下を授けられ、なお風雨または甘雨の御祈及び祈年穀報賽のため遣使奉幣あり。

延喜の制、名神大社に列し、祈年・月次・相嘗・新嘗の案上官幣及び祈年の際には遣使奉幣あったこと国史に散見する。

鎌倉時代以降、武家の崇敬篤く源頼朝は武運長久のため神輿及び神鏡を奉納したという。

天正年間(1573-1593)には荒木志摩守以下連署の施行状を下して本社を氏神とし、豊臣秀吉社領55石を寄せた。

江戸時代には累代藩主より社領15石を安堵せられた。 

明治18年(1885年)4月22日、県社より官幣小社に昇格。

明治29年(1896年)10月19日、官幣中社に昇格。

大正13年1924年)炎上。

昭和3年(1928年)国費を以て改造成る。

昭和23年(1948年)神社本庁別表神社に列格。

 

アクセス

鉄道

バス

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

長田神社パンフレット

 

公式ホームページ:

nagatajinja.jp

  

 

令和元年(2019年)6月15日奉拝。