香椎宮の摂末社
その摂末社を紹介する。
ご神紋は「十六八重菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
摂社・末社
武内神社
摂社。景行天皇から仁徳天皇まで5代にわたり仕え、仲哀天皇崩御後の神功皇后にも仕えたとされる武内宿禰を祀る。本殿左手に鎮座。
巻尾神社
摂社。中臣烏賊津大連を祀る。本殿右手に鎮座。
稲荷神社・鶏石神社
末社。綾杉の近くに鎮座。
朽瀬神社
末社。香椎参道を挟んで境内入り口の鳥居向かい側に鎮座。
印鑰神社
末社。石川宿禰を祀る。香椎宮から300 m ほど離れた境外に鎮座。
高陪神社
濱男神社
末社。撮影時は香椎宮から1.5 km ほど離れた境外に鎮座。現在、JR香椎駅前に遷宮した模様。
平野神社
末社。境内敷地に隣接した境外に鎮座。
古宮
香椎宮の裏手に位置する。仲哀天皇が国家鎮護の拠点とした橿日宮の跡地である。
方男佐海岸
片男佐の鳥居
境内から2.3 km ほど離れた方男佐海岸の香椎若葉団地の一角に佇む。昭和の初めまで楼門前にあった鳥居がこちらに移転せられたものらしい。
参照:
御島神社祭 (香椎宮末社) ( 福岡県 ) - 香椎うっちゃんのブログ - Yahoo!ブログ
御島神社
神功皇后が御渡海に際し、神の教えの当否を占われた地とされる。綿津見神を祀る。
アクセス
バス:
徒歩:
出典
香椎宮パンフレット
香椎宮略誌
公式ホームページ:
平成28年(2016年)3月3日奉拝。
香椎宮
福岡県福岡市東区香椎に鎮座する神社。
旧官幣大社。
勅祭社であり、10年毎に勅使を迎える皇室ゆかりの社。
ご神紋は「十六八重菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
参道は香椎参道口交差点から始まる。九州の大動脈である国道3号線と交差しており、交通量が非常に多い交差点の一角に社号標が立つ。
交差点の社号標から足を進めること4分、鹿児島本線の踏切越しに社号標が見える。先程の社号標と比べて「官幣」の部分が読み取りにくいが、GHQによる神道指令の名残であろうか。
奥には鳥居もあり、香椎参道の交通量、鳥居の幅、鹿児島本線の列車通過量が相あまって、慢性的な交通渋滞を引き起こしているようである。
社号標
大正11年(1922年)3月21日、従二位勲一等侯爵 黒田長成 による書とある。
頓宮
鳥居の手前右手には香椎頓宮の鳥居が。春季氏子大祭の折には御神幸があるとのこと。
先程の香椎参道沿いの街灯には鳥居の意匠があしらわれる。
鳥居から楼門まで
鹿児島本線踏切の鳥居から10分程香椎参道を歩くと、境内入り口を示す鳥居が見える。大正4年11月建立。こちらも名神鳥居。ただし亀腹を欠く。
皇族下乗の碑が左手に見える。
楼門
楼門は重層の檜皮葺総欅白木造である。戦火により消失したが再建された。楼門の左右に備える筋塀は寺社の位を示すもので、香椎宮は最高の5本筋となっている。
手水舎
絵馬殿
勅使館
獅子狛犬
獅子・狛犬。今風に言うところの “小顔” か。
綾杉
御神木である。
神功皇后が三韓よりご帰還の際に「永遠に本朝を鎮護すべし」と祈りを込めて、鎧の袖に挿していた杉枝を植えたものが成長したと言われる。太宰帥に新任された者は必ず香椎宮に参拝し、任期中の無事を祈ってこの杉葉を冠に挿すことが恒例の儀式として行われた。
中門
三間一戸切妻造の中門。
本殿
神亀元年(724年)に建立された。現在の本殿は享和元年(1801年)に第10代福岡藩主黒田斉清により再建されたもの。
香椎造。正面3間、側面3間の建物の内部を内陣、中陣、外陣に区別し、外陣の両側を更に1間左右に拡げた(獅子の間)もの。正面中央浜床上と左右側面に木階と昇勾欄を備える。平面に影響されて屋根も複雑な形を採る。檜皮葺。南を向く。
朱塗彩色が美しい。
神楽殿。
戦艦「摂津」(明治44年、1911年進水)の砲身。摂津はワシントン海軍軍縮条約により退役し標的艦となった戦艦。大正11年3月に貞明皇后がお召艦とし香椎宮に行幸された所縁による。
摂社・末社
霊泉不老水
武内宿禰がこの泉の水を汲み、食事と酒を調えて300歳余りの長寿を保ち得たと伝えられる。日本名水百選。
境内から500 m ほど離れた地にある。
扇塚
軍艦香椎顕彰碑
神社概要
鎮座地:福岡県福岡市東区香椎
例祭:10月29日
祭神
仲哀天皇は第14代天皇。日本武尊命を父に持つ。新羅を授けるとする住吉大神の信託を信じず、神の怒りに触れ、急死したという。
神功皇后は仲哀天皇の皇后、応神天皇(第15代天皇)の母。応神天皇を身籠りながらも仲哀天皇崩御後、三韓征伐を指揮した逸話が伝わる。応神天皇は八幡神として全国の八幡宮に祀られる。
由緒
仲哀天皇崩御後に山稜を営まれ、神功皇后新羅征討の軍議をせられた場所とされる。かつては香椎廟と称され、他の神社と区別され『延喜式』神名帳にその登載を見ることがなかったが、円融天皇の御代頃(969 - 984)から神社として取り扱われるように至ったようである。
神亀元年(724年)に建立。
天平宝字3年(759年)淳仁天皇、太宰帥三品船親王を遣わし新羅を伐つべき状を奏す。
天平宝字6年(762年)淳仁天皇、参議従三位藤原巨勢麻呂らをして奉幣、新羅を征するの軍旅を告げる。
大同2年(807年)平城天皇、大唐綵幣。
天長10年(824年)仁明天皇、即位奉告。
承和8年(841年)仁明天皇、本社および神功皇后山稜の祟りによって奉幣。
貞観12年(870年)清和天皇、新羅の賊船が豊前国の貢調船の絹綿を奪ったため大中臣朝臣国雄を奉幣使として詔を宣せしめる。
元慶2年(877年)陽成天皇、橿日神人に神憑があって新羅寡を窺うの御教があり使を遣わして綾羅御衣を奉る。
天慶元年(938年)朱雀天皇、宇佐宮奉幣と共に小野朝臣好古をして奉幣。
寛仁元年(1017年)後一条天皇、金銀幣各2枚を奉る。
承歴元年(1077年)白河天皇、香椎廟に火災があったので5日間の廃朝を行う。
建武3年(1336年)足利尊氏、社参し糟屋郡多々良以下の地800町を寄進。
応安7年(1374年)足利義満、社参し願文を納める。
天正年間(1573 - 1593年)小早川隆景159石を寄進。
延享元年(1744年)福岡藩主黒田継高、70石に加増。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭社(中奉幣)に列格。
大正11年(1922年)本殿が国指定重要文化財に指定される。
祭日
アクセス
バス:
徒歩:
出典
香椎宮パンフレット
香椎宮略誌
公式ホームページ:
平成28年(2016年)3月3日奉拝。
「神社奉拝」Twitter開設
即位礼を記念して、
当ブログのTwitterアカウントを開設します。
当ブログの更新情報、記事掲載神社の例祭日の発信等に活用する予定です。
アカウント画像はこちらの4社から。
即位礼、装束や威儀の物について少し知るだけでも興味が深まっていきます。
高良神社
福岡県久留米市に鎮座する神社。
高良玉垂命 を主神とする。
参道と境内
境内まで
一の鳥居
最初の鳥居は県道750号線上に。一般的な明神鳥居ではあるが額が鳥居に対して大きめ。明暦元年(1655年)久留米藩第2代藩主 有馬忠頼が寄進。
社号標
昭和3年(1938年)6月とある。
御手洗橋・放生池
安永年間(1772 - 1780年)に久留米藩が元々谷であったこの地を整備し放生池を営んだ。享和3年(1803年)に石橋ができた。
二の鳥居
昭和44年、江崎柾らをはじめとする多数の寄進による鳥居。徒歩では山道をしばらく進むことになる。道中目にする神籠石は、古代山城跡であり史跡に指定されている。自動車で三の鳥居まで進める道も整備されている。
高良山本坊跡
比叡山延暦寺の末寺であり、「鎮西9ヶ国の天台総本山」と称された。明治2年(1869年)神仏判然令により廃寺。久留米藩知事 有馬頼咸公の住居、次いで筑後国中教院高良神社社務所、のち高良神社宮司官舎として永く利用された。
境内
三の鳥居
両部鳥居の形式。
由緒書
手水舎
社務所
昭和40年(1965年)建設の高良会館。6階は展望台にもなっている。
授与所
祈祷殿
高良大社宝物館
獅子狛犬
中門
拝殿正面にある平唐門。檜皮葺。安永6年(1777年)久留米藩第7代藩主 有馬頼憧が寄進。
拝殿
正面5間、側面3間、廻縁勾欄附、正面に3間の向拝を付加する。屋根は入母屋造平入で、向千鳥破風を起こし、向拝に軒唐破風を飾る。杮葺。
万治2年(1659年)から同4年にかけ、久留米藩第3代藩主 有馬頼利の寄進により造営された。 国指定重要文化財。
庇下
正面3間、側面3間、屋根両下造、床を正殿及び拝殿より低く張る。国指定重要文化財。
正殿
正殿と拝殿を庇下で連結した権現造。万治3年(1660年)の再建と伝わる。
正面3間、側面3間、内部は奥部一間通内陣、前方2間通を外陣とし、内陣正面3戸前、外陣1戸前、左右間は蔀戸建、廻縁勾欄付、縁腰組を4手先に構え、柱頭組物は和様2手先、屋根入母屋造平入である。檜皮葺。国指定重要文化財。
当社の南東側に位置する高良山を神体山とするためか、北西を向く。
摂社・末社
神社概要
主神:高良玉垂命
左相殿:八幡大神
右相殿:住吉大神
例祭:10月13日(10月9日)。
由緒
承和8年(841年)正五位下に進む。
嘉祥元年(848年)従四位下を加える。
斉衡2年(855年)位田4町を加える。
天安元年(857年)本神及び豊比咩神に封戸位田を充て奉る。
天安2年(858年)5月、正殿災いに罹り、位記皆焼損なわれたるを以って、旧文を勘えしめて、正三位を賜い、神封27戸を充つ。
貞観6年(863年)正二位に叙す。
延喜の制、名神大社に列せらる。
天文14年(1545年)大友義鎮(宗麟)社殿を造営す。
慶長元年(1596年)豊臣秀吉荒廃を恐み朱印1000石を寄す。
爾後、領主小早川氏、藩主有馬氏等の崇敬渝ることなし。
アクセス
バス:
自動車:
出典
高良大社パンフレット
公式ホームページ:
平成27年(2015年)9月14日奉拝。
北野神社
ご神紋は「星梅鉢」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
京都市を南北に走る御前通沿いに鎮座する。学問の神様として、福岡県の太宰府神社と並び名高い。観光客も多く、そのためか停車中のタクシーも多い。
鳥居から楼門まで
一の鳥居
一般的な明神鳥居である。大正10年10月の建立。
獅子狛犬
二の鳥居
三の鳥居
楼門の内側
楼門
額には「文道大祖 風月本主」の文字。平安時代中期の学者・慶滋保胤、大江匡衡らが菅原道真を讃えた言葉。
手水舎
近くには、さすると対応する体の症状が快方に向かうとされる「撫で牛」が。
中門(三光門)
中門は四脚唐門。明治31年(1898年)に建立。重要文化財。
拝殿
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営。
桁行7間、梁行3間入母屋造、本殿の間に2間の石の間があり、拝殿の東西には3間に2間の楽の間(入母屋造)が連接している。素木造。長押上は極彩色である。檜皮葺。国宝。
本殿
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営。
桁行5間、梁行4間、中の3間に2間を内内陣とし、その周囲を内陣とする。拝殿とは石の間(先述)で連接される。これらの高低ある屋根が結合せられて一体になっているので、これを八棟造といい、また権現造とも称している。素木造、内陣黒漆塗、勾欄朱漆塗で長押上は極彩色。東西北には透塀を巡らし、北面中央に後門(平唐門)を開く。檜皮葺。南を向く。国宝。
社務所
神楽殿
宝物殿
摂社・末社
地主社
本殿北側に鎮座。天神地祇を祀る。摂社。
老松社
本殿北側に鎮座。菅原道真の侍臣、島田忠臣を祀る。摂社。
福部社
楼門から中門に至る参道左側に鎮座。菅原道真の侍臣、十川能臣を祀る。摂社。
白太夫社
楼門から中門に至る参道右側に鎮座。神宮禰宜・渡会春彦を祀る。摂社。
火之御子社
楼門から中門に至る参道右側に鎮座。末社。
伴氏社
一の鳥居から楼門に至る参道、三の鳥居手前左側に鎮座。末社。
文子天満宮社
本殿北東側、境内の隅に鎮座。末社。
七社
那伊鎌社・一拳社・周枳社・宰相殿社(菅原輔正・道真四世孫)・和泉殿社(菅原定義・道真六世孫)・三位殿社(和泉殿次子)・大判事社
本殿西側に鎮座。宰相殿社・和泉殿社は摂社。
八社
福部社・高千穂社・安麻神社・御霊社・早鳥社・今雄社・貴布禰社・荒神社
本殿西側に鎮座。
十二社
寛筭社・大門社・橘逸勢社・藤大夫社・文大夫社・淳仁天皇社・太宰少貮社・老松社・白大夫社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社
本殿北側に鎮座。
四社
夷社・松童社・八幡社・若松社
本殿西側に鎮座。
文子社・神明社
影向松
一の鳥居をくぐってすぐ右手に、石の玉垣で囲まれた一本の松。当宮の創建からこの地にあると伝わる御神木。立冬から立春前日までに初雪が降ると御祭神が降臨され、雪見を愛でながら詩を詠まれるという伝説があり、現在でも初雪が降った日には、硯と筆と墨をお供えして「初雪祭」の神事が行われる。
神社概要
相殿東座:中将殿(菅原公長男 右少弁高視朝臣)
相殿西座:吉祥女(菅原北の方)
例祭:8月4日
由緒
天慶5年(942年)右京七条坊に住む多治比文子信託により宮地を右近馬場に画して火雷天神を祀る。
天暦元年(947年)近江比良の神官良継の子に託宣があったので、文子、良継および北野朝日寺の僧最珍らが現社地に神殿を造立して天満天神と崇め祀った。
天徳3年(959年)藤原時平の弟忠平の子、右大臣師輔、神殿屋舎を造増し、神宝諸物を奉った。
永延元年(987年)一条天皇、皇太后宮の典侍に神教があったので、更に神殿を改造せられ、初めて北野祭を行わせて官幣を奉奠せられた。
正暦5年(994年)炎天うち続いたために伊勢、石清水などの16社に新たに吉田、廣田、北野の3社を加えて19社と定め、祈雨の奉幣があった。
寛弘7年(1010年)明年三合の厄に当たるので特に神宝、東遊を奉らる。
この後賀茂、石清水などの諸大社と共に22社の一に列し、王城の鎮護として歴朝の珠遇を蒙り、行幸御行のこと度々あり。摂関以下大臣公卿らの社参、参籠、祈願など絶えず、文教の祖神として崇められる。
徳川将軍家は500石の朱印領を献じ、維新までは曼殊院宮を以って別宮とせられた。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭社(中祭)に列格。
アクセス
鉄道:
バス:
自動車:
- JR京都駅から 自動車20分
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月15日奉拝。
【官国幣社の例祭日】9月篇
官国幣社のうち、9月に例祭日を迎える神社をまとめている。
32社がここに社名を連ねる。
9月15日に石清水八幡宮、鶴岡八幡宮、藤崎八旛宮、千栗八幡宮と、八幡宮系の神社が並ぶのが印象的。
9月には「秋分の日」が祝日として定められ、宮中では春季皇霊祭とされ天皇陛下御親ら歴代天皇・皇后・皇親等の神霊のお祭りを執り行われ、神宮、諸社では遥拝が行われる。
写真は 神宮ホームページ より
9月1日
9月4日
9月9日
志賀海神社(官小、福岡県)→10月第2月曜日
9月11日
都々古別神社(国中、福島県・馬場)
9月13日
竈山神社 (官大、和歌山県)
住吉神社 (官小、福岡県)
玉前神社 (国中、千葉県)
9月15日
鶴岡八幡宮(国中、神奈川県)
新田神社 (国中、鹿児島県)
9月16日
田島神社 (国中、佐賀県)
9月18日
豊国神社 (別官、京都府)
9月19日
霧島神社 (官大、鹿児島県)
生島足島神社(国中、長野県)
9月20日
寒川神社 (国中、神奈川県)
9月21日
9月22日
9月25日
玉祖神社 (国中、山口県)
9月26日
国懸神宮 (官大、和歌山県)
9月27日
9月28日
英彦山神社(官中、福岡県)
別官は「別格官幣社」を表している。
赤字は勅祭社。
※ リンクは記事を作成次第更新する予定。