藤島神社
旧別格官幣社。
新田義貞 を主神とする。
ご神紋は「丸に一引き」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
福井市民の憩いの場、足羽山。日本さくら名所100選にも指定されるこの山の中腹に藤島神社は鎮座する。祭神・新田義貞は延元3年(1338年)藤島の戦いにて戦死しているが、その地が今の福井市にあたる。
社号標
昭和26年8月25日 従二位勲三等鷹司信輔による書とある。
境内
一の鳥居
明神鳥居である。
手水舎
二の鳥居
獅子・狛犬
拝殿
檜皮葺、正面3間、側面2間、廻縁・勾欄付きで入母屋造平入、謂わゆる舞殿風の建物。
と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。
本殿
一間社流造、千木堅魚木を具える。檜皮葺。
と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。
また、向唐破風造の中門が本殿と拝殿の間にかつて存在していたようであるが現在は本殿と拝殿が建物によって結ばれている。
宝物庫
摂末社
野神神社
社務所
祈祷受付所
神社概要
主神:新田義貞
例祭:8月25日
由緒
吉野朝の忠臣義貞は延元3年(1338年)に越前国吉田郡西藤島村燈明寺畷において戦没する。のち江戸時代、明暦年間(1655 - 1658年)この地に古兜を発掘、ついで明治3年(1870年)、福井藩知事 松平光通は同旧跡地に「新田義貞戦死此所」と刻せる石碑を建て、俗に「新田塚」と云ったが、明治3年、福井藩知事 松平茂昭は一祠を興し、ついで公を奉祀する官幣社の建設を上申した。
明治9年(1876年)11月7日、上祠に対し現社号を賜い、別格官幣社に列し、新田義貞公を主神とし、上祭神の配祀の旨仰出される。
明治10年(1877年)12月、仮殿落成により勅使を差遣して霊代を鎮安せしめられた。
明治11年(1878年)新田義顕公・同義興公以下殉難将士配祀の旨仰出される。
明治14年(1881年)燈明寺畷の南13町余の西藤島牧ノ島に社殿を造営したが、社地陰湿にして水災の惧があるので、34年(1901年)更に現地足羽山の中腹に新築遷祀した。
アクセス
鉄道:
自動車:
- JR福井駅からから 自動車7分
出典
長田神社パンフレット
公式ホームページ:
北野神社
令和元年(2019年)8月14日奉拝。