【揮毫人】黒田 長成
神社の入り口にある社名を記した標柱を「社号標」という。
普段、気にすることのない社号標も意外な人が揮毫しているかもしれない。
今回紹介するのは、
黒田 長成
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に重用され、特に秀吉には側近として仕えた 黒田孝高(官兵衛)の末裔にあたる。黒田孝高は平成26年(2014年)の大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公であった。
黒田 長成
(くろだ ながしげ、慶応3年5月5日(1867年6月7日) - 昭和14年(1939年)8月14日)父は筑前福岡藩の最後の藩主 黒田長知 。妻は公爵 島津忠義 の娘、清子。長男は「日本鳥学の父」と称された黒田長礼。
福岡黒田家13代目の当主。
従一位勲一等旭日桐花大綬章侯爵。
慶應義塾中退、ケンブリッジ大学にて学士号を取得。かつての福岡藩藩校を再興した旧制中学修猷館館長(第3代)、貴族院議員や貴族院副議長(第4 - 8代)、枢密顧問官、議定官などを歴任した。特に貴族院副議長については約30年その職にあった。
豊臣秀吉を顕彰する豊国会や、菅原道真を顕彰する菅公会などの会長も務めた。
揮毫した社号標
確認できた限りでは福岡にある神社の社号標が多く、福岡との深い縁を感じさせる。
黒田長成の先祖にあたる、福岡藩主たちはこれらの神社の社殿再建や社領寄進を行なっている。
略歴
明治18年(1885年) ケンブリッジ大学キングス・カレッジ入学
明治20年(1887年) 同大学学士号(普通学位)取得、卒業
明治25年(1892年) 貴族院議員、福岡県立尋常中学修猷館 第3代 館長(~27年)
明治27年(1894年)10月16日 貴族院 第4~8代 副議長(~大正13年)
明治29年(1896年)3月14日 勲四等旭日小授賞
明治38年(1905年) 東邦協会会頭
大正4年(1915年)11月10日 勲一等瑞宝賞
大正11年(1922年)10月7日 勲一等旭日大綬賞
昭和14年(1939年)8月14日 勲一等旭日桐花大綬賞(没後叙勲)