神社奉拝

官国幣社巡りの記憶

鎌倉宮

神奈川県鎌倉市二階堂に鎮座する神社。

官幣中社建武中十五社。

護良親王 を祀る。

例祭は8月20日

 

 

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ご神紋は「十六八重菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

   

 

参道と境内

境内まで

鎌倉市中心部から徒歩30分ほど、鶴岡八幡宮表参道を八幡宮向かって右側に入り18分ほどの奥地に鎮座する。

 

 貫が柱から出ておらず、中山鳥居の形式ではあるが、額束はない。

配色も特徴的であるが、このような理由である、とのこと。

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社号標

昭和4年(1929年)8月建とある。

陸軍大将一戸兵衛の書。

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一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日1855年8月2日)- 昭和6年(1931年)9月2日)は、日本陸軍軍人。

弘前藩士の長男として生まれる。明治7年(1874年)陸軍士官生徒として陸軍兵学寮に入り、明治9年(1876年)3月陸軍少尉試補・歩兵第2連隊(宇都宮)付を命じられる。西南戦争に出征、負傷する。日清戦争には第5師団第11連隊(広島)大隊長・陸軍少佐として出征。

明治30年(1897年)10月、陸軍大佐に任ぜられ近衛歩兵第4連隊第4代連隊長を拝命する。翌年茨木惟昭中将が師団長を務める第6師団(熊本)参謀長に就任。

明治34年(1901年)5月陸軍少将に昇進、歩兵第6旅団(金沢)旅団長を命じられる。明治37年(1904年)6月から日露戦争に出征、旅順攻囲戦にて活躍。翌年3月から第3軍参謀長。明治39年1906年)1月帰還する。

第1師団(東京)司令部付・歩兵第1旅団(東京)旅団長を経て明治40年(1907年)11月陸軍中将に昇進、第17師団(岡山)初代師団長を親補される。明治44年(1911年)9月第4師団(大阪)第10代師団長、大正元年(1912年)12月第1師団(東京)第10代師団長。

大正4年(1915年)2月軍事参議官に就任。同年8月陸軍大将に昇進、12月第8代教育総監に就任。大正8年(1919年)8月再び軍事参議官に就任。大正9年1920年)後備役編入となる。

同年5月から大正11年(1922年)11月まで学習院長を務める。大正13年1924年)8月明治神宮宮司に就任。大正15年(1926年)2月から帝国在郷軍人会第3代会長も兼ねる。

昭和6年(1931年)9月2日薨去

陸軍大将正二位勲一等功二級旭日桐花大綬章。

 

 

境内 

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手水舎 

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社務所

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拝殿

方三間、入母屋造妻入の舞殿形式。

檜皮葺素木造と神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。

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本殿

正面三間、側面一間の切妻造平入、銅版葺。千木、鰹木を具え、廻縁勾欄附の素木造。

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摂社・末社

村上社

拝殿南側に鎮座。村上義光を祀る。

義光は鎌倉時代末期の武将で、護良親王の御名代として殉じた。『太平記』で活躍が見られる。

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南方社

本殿北側に鎮座。写真では瑞垣越しに千木、鰹木が見える。持明院藤原保藤女南の御方を祀る。南の御方は護良親王の鎌倉幽閉中常にお側に侍り、かつ薨去の後京都に帰り委曲奏上した官女。

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土牢

護良親王が9ヶ月に渡り、幽閉されていたと伝わる。

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鎌倉宮

明治天皇鎌倉宮ご創建にあたり、太政大臣三条実美公への勅語を刻したもの。

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宝物殿

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境内の休憩所

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由緒 

護良親王後醍醐天皇の皇子、大塔宮とも申し奉る。

 

明治元年(1868年)7月京都聖護院村に神座を設けて親王を奉斎。

明治2年(1869年)2月親王御終焉の跡といわれる現在の地に社殿の造営を仰せ出され、同6月鎌倉宮宮号を賜い、同7月社殿竣成するや21日、御鎮座の儀が行われた。

明治6年1873年)4月明治天皇御親拝遊ばされ、6月9日官幣中社に列格。

 

昭和23年(1948年)神社本庁包括下に入らず現在に至る。

  

 

アクセス

バス

自動車

 

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

鎌倉宮パンフレット

 

公式ホームページ:

www.kamakuraguu.jp

 

 

平成27年(2015年)3月20日奉拝。