八坂神社
豪華絢爛な祇園祭は全国に知られる。
ご神紋は「五瓜に唐花」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
京都市の主要な東西の通りの一つである四条通の東の突き当たりに鎮座する。ちなみに四条通の西の突き当たりは松尾神社である。
社号標
大正5年5月、山田得多による書とある。嘉永5年(1852)3月讃岐出身の書家で、京都に居したらしい。
西側の楼門。屋根はもともと檜皮葺であったのが本瓦葺に改められている。重要文化財。
南側にも楼門がある。
境内
手水舎
獅子・狛犬
拝殿
正面3間側面3間入母屋造平入、銅板葺素木造。
本殿
社務所
摂社・末社
神社概要
例祭:6月15日
由緒
清和天皇の貞観18年(876年)、常住寺の僧十禅師円如大法師が神の託宣により移し奉ったのを初めとし、その後、藤原基経が威験に感じて精舎を建立した。
天慶5年(942年)6月東遊・走馬十列等を奉って、先に祈念下東西賊徒の奉賽とせしめられた。
天禄3年(972年)6月15日、円融天皇御疱瘡の祈によって御霊会を勅会となし、走馬・勅楽を奉らしめられた。
天延2年(974年)天台別院とせられ、南都興福寺の支配を受けて来た関係を断つ。
延久4年(1072年)3月、後三條天皇稲荷と共に行幸の例を開かれ、この後両社は相共に行幸を催さるるを定めとした。
天治元年(1124年)6月、崇徳天皇御霊祭の奉幣を復して永例とし、之を臨時祭とせられた。
室町時代において、北野とともに将軍家の産土神たるの地位に居り、三代義満の崇仰は深厚を極めた。
江戸時代を通じて朱印領140石を領した。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭社(中祭)に列格。
明治4年(1871年)5月14日 八坂神社と改称、官幣中社に列格。
大正4年(1915年)11月10日 護王神社と改称、官幣大社に昇格。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車11分
徒歩:
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。