【官国幣社の例祭日】10月篇
官国幣社のうち、10月に例祭日を迎える神社をまとめている。
55社がここに社名を連ねる。
日本において秋は収穫の時期であり、宮中祭祀では10月17日に神嘗祭を執り行いその年の初穂を天照大御神に奉納する。伊勢の神宮では同日に御装束・御器具を一新する。
農業と祭祀は密接に結びついており、このため各地の神社もこの時期に祭日を設けたのではないだろうか。
写真は 神宮ホームページ より
ここには朝鮮・台湾・南洋群島といった旧外地にかつて存在した神社も多く見受けられ、例祭日も集中している。これについては各項目で考察する。
10月1日
豊栄神社 (別官、山口県)
10月2日
10月7日
10月8日
10月9日
大神山神社(国小、鳥取県)
10月10日
梨木神社 (別官、京都府)
若狭彦神社上社(国中、福井県)
福井神社(別官、福井県)
10月11日
海神社 (官中、兵庫県)
安仁神社 (国中、岡山県)→10月第2土曜日
大縣神社 (国中、愛知県)
10月12日
速谷神社 (国中、広島県)
10月13日
北畠神社 (別官、三重県)
高良神社 (国大、福岡県)
10月14日
全州神社 (国小、全羅北道)
10月15日
伊和神社 (国中、兵庫県)
伊曽乃神社(国中、愛媛県)
枚聞神社 (国小、鹿児島県)
江原神社 (国小、江原道)
光州神社 (国小、全羅南道)
10月16日
龍頭山神社(国小、慶尚南道)
10月17日
朝鮮神宮 (官大、京畿道)
南洋神社 (官大、パラオ諸島)
咸興神社 (国小、咸鏡南道)
神嘗祭の日であり、以上の三社はいずれも天照大神を祀ることからこの日となったのではないか。
10月18日
京城神社 (国小、京畿道)
10月19日
10月20日
出石神社 (国中、兵庫県)
10月21日
出雲神社 (国中、京都府)
10月23日
靖国神社 (別官、東京都)→10月18日
10月25日
唐沢山神社(別官、栃木県)
10月26日
宮崎神宮 (官大、宮崎県)
10月28日
台湾神宮 (官大、台北州)
台南神社 (官中、台南州)
照国神社 (別官、鹿児島県)
新竹神社 (国小、新竹州)
台中神社 (国小、台中州)
台湾に鎮座していた5社はいずれも北白川宮能久親王を祀る。能久親王は近衛師団長として台湾出征時に陣没した。国葬時から神社奉斎の世論が起こったため所縁の台湾の地に台湾神宮や台南神社が創建された。能久親王の命日が10月28日であったため、これらの神社の例祭日も10月28日になったものと想像される。
10月29日
香椎宮 (官大、福岡県)
別官は「別格官幣社」を表している。
赤字は勅祭社。
※ リンクは記事を作成次第更新する予定。
勅祭社
勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、勅使が参向して祭祀が執行される神社のことで、正式には勅使参向の神社という。
勅祭に預かる神社は古くからあり、二十二社などがその代表であるが、近代になってからの正式な勅祭社は、明治元年(1868)10月に勅祭の神社と決定された氷川神社である。(中略)
現在に至る勅祭社が正式に治定されたのは、明治16年に賀茂祭および石清水祭が勅祭と定められた賀茂御祖神社、賀茂別雷神社および石清水(男山)八幡宮が最初である。その後、春日神社、氷川神社、熱田神宮、橿原神宮、出雲大社、明治神宮、朝鮮神宮、靖国神社、宇佐神宮、香椎宮、鹿島神宮、香取神宮、平安神宮、近江神宮が勅祭社となっている。
現在の勅祭社は消滅した朝鮮神宮を除く前記の16社であるが、このうち宇佐神宮と香椎宮は10年ごと、鹿島神宮、香取神宮は6年ごとに勅使が差遣され、また靖国神社には春秋2度の大祭に勅使が差遣されている。
『延喜式』に見られるように古来より諸大社は全国にあったが、平安後期になると律令制の衰退とともに遠隔の諸大社への奉幣は避けられ、逆にそのために京に近い神社が有力氏族や民衆の崇敬を集めて固定化され、新たな社格ともいえる二十二社が制度として成立した。しかしこれも室町後期に朝廷の奉幣が中断、江戸時代に何度か再興が試みられたが果たされなかった。
その後、国学の隆盛と復古神道の機運の高まりを受けて明治維新が成ると、1868年(明治元年)、明治天皇は氷川神社の祭事を勅祭として行った。これが近代の勅祭社の始まりである。明治3年には東京とその附近の12社を准勅祭社と定めた。これらは一時的なものであったが、1883年(明治16年)、賀茂神社(賀茂御祖神社、賀茂別雷神社)の賀茂祭(葵祭)、石清水八幡宮の石清水祭が勅祭と定められて今日につながる勅祭社となり、以降はその数を増やしていった。
官国幣社を紹介する本ブログであるが、勅祭社の全てが官国幣社となっていることから記事とした。靖国神社を除いた全てが旧官幣大社である。
勅祭社の一覧
( )内の年号は勅祭社に治定せられた日付である。
(式内名神、山城国一宮、二十二社、官大、四方拝、明治16・09・02)
(式内名神、山城国一宮、二十二社、官大、京都府、明治16・09・02)
石清水八幡宮(二十二社、官大、京都府、四方拝、明治16・09・02)
春日神社(式内名神、二十二社、官大、奈良県、明治18・04・06)
氷川神社(式内名神、武蔵国一宮、官大、埼玉県、四方拝、明治25・06・23)
香取神宮(式内名神、下総国一宮、官大、千葉県、四方拝、昭和16・12・23)
鹿島神宮(式内名神、常陸国一宮、官大、茨城県、四方拝、昭和16・12・23)
熱田神宮(式内名神、官大、愛知県、四方拝、大正6・02・01)
出雲大社(式内名神、出雲国一宮、官大、島根県、大正6・02・01)
宇佐神宮(式内名神、豊前国一宮、官大、大分県、大正14・02・05)
(官大、福岡県、大正14・02・05)
(官大、京都府、昭和20・12・15)
明治神宮(官大、東京都、大正9・10・15)
朝鮮神宮(官大、京畿道、大正14・09・14)
靖国神社(別官、東京都、明治2・06・23)
※ リンクは記事を作成次第更新する予定。
賀茂別雷神社
別雷命 を祀る。
勅祭社であり、毎年例祭に勅使を迎える皇室ゆかりの社。
ご神紋は「花付き二葉葵」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
鴨川のほとりに佇む古社。
一の鳥居前にはロータリーが整備されており、京都市バスの停留所もある。
鳥居から楼門まで
一の鳥居
境内入り口を示す一の鳥居は朱塗り。名神鳥居。
二の鳥居までは白砂の敷かれた参道が一直線に参拝者を誘う。
外幣殿
参道右手に見えるのは外幣殿。
桁行5間、梁行3間、入母屋造檜皮葺で東側梁行1間通りを土間、その他を板敷とし、板敷部分の三方に縁をめぐらせる。法皇、上皇の行幸、摂政関白の賀茂詣の節の着到殿であった。また競馬会の際の諸役著座する馬場殿でもあった。
二の鳥居
二の鳥居。同じく名神鳥居。
二の鳥居をくぐり抜けると、建物群が迎える。
楽屋
二の鳥居を抜けてすぐ近くの建物。寛永5年(1628年)建造。重要文化財。檜皮葺。
土屋
神主以下の着到殿として用いられた。寛永5年(1628年)建造。重要文化財。
桁行5間、梁行2間、入母屋造、土間砂敷である。檜皮葺。
橋殿(舞殿)
勅使の拝殿。
桁行6間、梁行1間、正面桁行1間を土間とし、板敷左右側に縁勾欄を附す。入母屋造妻入。檜皮葺。
細殿
桁行5間、梁行2間、入母屋造、板敷、廻廊勾欄を有する。檜皮葺。
細殿の前に設けられた立砂は白砂をきれいな円錐形に盛り上げたもので、賀茂別雷神が降臨したといわれる「神山」(こうやま)をかたどり、神を招く憑代の役割を果たしている。
手水舎
楼門
楼門は三門三戸(格子戸)、東西廻廊は土間単廊で、桁行それぞれ9間。檜皮葺。
中門
一間一戸四脚門、左右に東局及び西局を接結し、いずれも正面8間、側面2間の板敷、廻廊の位置に相当する。
幣殿
忌子の伺候所であった忌子殿につながる。
本殿
流造の代表的なものとして常に挙げられ、古格を伝える形式を示す。
造営の初記録は天武天皇6年(677年)とあり、長元9年(1036年)以降、21年式年造営の儀を勅定されたという。一時式年の制が衰え、延滞することもあったが、文久3年(1863年)の造営に再び21年毎造営の制を仰出された。
正面3間、側面2間、内陣、外陣の区別はない。廻廊勾欄附きで千木、鰹木をそなえない。檜皮葺。右側に並び建つ権殿は同尺かつ同形式。
賀茂御祖神社神殿に酷似するが、勾欄、木階が素木造(賀茂御祖神社は朱漆塗)、正面扉両脇の間の嵌板に狩野風の獅子狛犬の絵を描く(賀茂御祖神社は絵なし)。南を向く。
国宝に指定されている。
勅使殿・社務所
摂社・末社
須波神社
摂社。楼門向かって右手に鎮座。
新宮神社
摂社。本殿右手に鎮座。
奈良神社
摂社。庁屋の後ろに控える形で鎮座。
棚尾社
末社。 中門前右手に鎮座。
川尾社
末社。楼門前右手に鎮座。
橋本社
末社。楼門前左手に鎮座。
山尾神社
末社。新宮神社に隣接して鎮座。
岩本神社
末社。
山森神社
末社。梶田神社と並んで鎮座。
梶田神社
末社。山森神社と並んで鎮座。
片岡社
楼門向かって右手に鎮座。
沢田社
神宮遥拝所
ならの小川についての碑
願い石(陰陽石)
池の底から出土したという。
神社概要
社格:式内名神、二十二社(上七社)、山城国一宮、旧官幣大社、勅祭社
祭神:別雷命
例祭:5月15日
祭神
別雷命
賀茂建角身命の御子である建玉依姫が賀茂川の辺に遊びなさったとき、川上より丹塗矢が流れて来たので取って床辺に置き、孕んで男子が産まれた。建角身命はその父を知ろうとして、その御子に杯を持たせ、汝の父と思う人にこの酒をを飲ませよ、と言われたところ、御子は屋甍を破って天に昇ったため、御子を別雷命と称した。
由緒
神武天皇の御宇、賀茂山の麓の御阿礼所に降臨なさり、天武天皇6年(677年)山城国をして現今の地に社殿を造営せしめられたと伝わる。
天平勝宝2年(750年)孝謙天皇、御戸代田1町を神領として充て奉る。
天応元年(781年)光仁天皇、賀茂二社の禰宜祝に把笏の儀を許される。
延暦3年(784年)桓武天皇、長岡京に遷都せらるるや直ちに奉幣、賀茂下上の二神に従二位を授けらる。
延暦13年(794年)桓武天皇、平安奠都の後正二位勲一等を授けらる。行幸。
弘仁元年(810年)嵯峨天皇、第8皇女有智子内親王を斎院とす。
嘉祥3年(850年)文徳天皇、御即位により奉幣。
寛平元年(889年)宇多天皇、初めて臨時祭を行われる。
延喜の制、名神大社、月次、相嘗、新嘗に預からしめられる。名神祭、祈雨、止雨の奉幣にも預からしめられる。
二十二社の制、整うや上七社の内に列し、祈年穀奉幣に預からしめられた。
長徳3年(997年)一条天皇、神主職を創置せられた。
寛治4年(1090年)堀河天皇、上下両社に不輸田各々600余町を献ぜられた。
後鳥羽上皇、常に祈願を籠めさせられ度々ご参籠あり。
亀山上皇、50日間ご参籠あり、その間上下両社に御百度のご参拝があった。
豊臣秀吉、天下を統一するや、全国の社領50余箇郷をことごとく没収しこれに代えるに2572石の朱印を奉る。
天和2年(1682年)奏事始をご再興あらせられた。
宝永5年(1708年)内裏炎上の際の如き、東山天皇を始め一時当社を行在所としてご避難遊ばされた。
文久3年(1863年)孝明天皇、攘夷ご祈願のため行幸あらせられ、関白以下公卿及び征夷大将軍以下閣老諸大夫、在京の諸侯これに供奉した。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭者(大祭)に列格。
明治4年(1871年)5月14日 官幣大社に列格、官国幣社の首位に置かれた。
祭日
アクセス
バス:
自動車:
- JR二条駅 から 自動車15分ほど
- 京都市営地下鉄烏丸線 北大路駅 から 自動車7分ほど
- 京都市営地下鉄烏丸線 北山駅 から 自動車7分ほど
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月15日奉拝。