神社奉拝

官国幣社巡りの記憶

賀茂別雷神社

京都府京都市に鎮座する神社。上賀茂神社とも称される。

式内名神二十二社(上七社)、山城国一宮、旧官幣大社

別雷命 を祀る。

勅祭社であり、毎年例祭に勅使を迎える皇室ゆかりの社。

 

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ご神紋は「花付き二葉葵」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

  

参道と境内

境内まで

鴨川のほとりに佇む古社。

一の鳥居前にはロータリーが整備されており、京都市バスの停留所もある。

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鳥居から楼門まで

一の鳥居

境内入り口を示す一の鳥居は朱塗り。名神鳥居。

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二の鳥居までは白砂の敷かれた参道が一直線に参拝者を誘う。

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外幣殿

参道右手に見えるのは外幣殿。

桁行5間、梁行3間、入母屋造檜皮葺で東側梁行1間通りを土間、その他を板敷とし、板敷部分の三方に縁をめぐらせる。法皇上皇行幸、摂政関白の賀茂詣の節の着到殿であった。また競馬会の際の諸役著座する馬場殿でもあった。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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二の鳥居

二の鳥居。同じく名神鳥居。

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二の鳥居をくぐり抜けると、建物群が迎える。

 

楽屋

二の鳥居を抜けてすぐ近くの建物。寛永5年(1628年)建造。重要文化財。檜皮葺。

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土屋

神主以下の着到殿として用いられた。寛永5年(1628年)建造。重要文化財

桁行5間、梁行2間、入母屋造、土間砂敷である。檜皮葺。

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橋殿(舞殿)

勅使の拝殿。

桁行6間、梁行1間、正面桁行1間を土間とし、板敷左右側に縁勾欄を附す。入母屋造妻入。檜皮葺。

文久2年(1863年)建造。重要文化財

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細殿

天皇及び太上天皇の御着到殿に充てられた。

桁行5間、梁行2間、入母屋造、板敷、廻廊勾欄を有する。檜皮葺。

細殿の前に設けられた立砂は白砂をきれいな円錐形に盛り上げたもので、賀茂別雷神が降臨したといわれる「神山」(こうやま)をかたどり、神を招く憑代の役割を果たしている。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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手水舎

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楼門

楼門は三門三戸(格子戸)、東西廻廊は土間単廊で、桁行それぞれ9間。檜皮葺。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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中門

一間一戸四脚門、左右に東局及び西局を接結し、いずれも正面8間、側面2間の板敷、廻廊の位置に相当する。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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幣殿

忌子の伺候所であった忌子殿につながる。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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本殿

流造の代表的なものとして常に挙げられ、古格を伝える形式を示す。

造営の初記録は天武天皇6年(677年)とあり、長元9年(1036年)以降、21年式年造営の儀を勅定されたという。一時式年の制が衰え、延滞することもあったが、文久3年(1863年)の造営に再び21年毎造営の制を仰出された。

正面3間、側面2間、内陣、外陣の区別はない。廻廊勾欄附きで千木、鰹木をそなえない。檜皮葺。右側に並び建つ権殿は同尺かつ同形式。

賀茂御祖神社神殿に酷似するが、勾欄、木階が素木造(賀茂御祖神社は朱漆塗)、正面扉両脇の間の嵌板に狩野風の獅子狛犬の絵を描く(賀茂御祖神社は絵なし)。南を向く。

国宝に指定されている。

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勅使殿・社務所

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摂社・末社

須波神社

摂社。楼門向かって右手に鎮座。

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新宮神社

摂社。本殿右手に鎮座。

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奈良神社

摂社。庁屋の後ろに控える形で鎮座。

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棚尾社

末社。 中門前右手に鎮座。

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川尾社

末社。楼門前右手に鎮座。

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橋本社

末社。楼門前左手に鎮座。

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山尾神社

末社。新宮神社に隣接して鎮座。

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岩本神社

末社

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山森神社

末社。梶田神社と並んで鎮座。

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梶田神社

末社。山森神社と並んで鎮座。

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片岡社

楼門向かって右手に鎮座。

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沢田社

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神宮遥拝所

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ならの小川についての碑 

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願い石(陰陽石

池の底から出土したという。

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神社概要

鎮座地京都府京都市北区上賀茂本山

社格:式内名神二十二社(上七社)、山城国一宮、旧官幣大社、勅祭社

祭神:別雷命

例祭:5月15日

 

祭神

別雷命

賀茂建角身命の御子である建玉依姫が賀茂川の辺に遊びなさったとき、川上より丹塗矢が流れて来たので取って床辺に置き、孕んで男子が産まれた。建角身命はその父を知ろうとして、その御子に杯を持たせ、汝の父と思う人にこの酒をを飲ませよ、と言われたところ、御子は屋甍を破って天に昇ったため、御子を別雷命と称した。

 

 

由緒

神武天皇の御宇、賀茂山の麓の御阿礼所に降臨なさり、天武天皇6年(677年)山城国をして現今の地に社殿を造営せしめられたと伝わる。

 

欽明天皇のとき、山城国をして賀茂祭を行わしめる。

神亀3年(726年)聖武天皇、初めて臨時の奉幣。

天平勝宝2年(750年)孝謙天皇、御戸代田1町を神領として充て奉る。

天応元年(781年)光仁天皇、賀茂二社の禰宜祝に把笏の儀を許される。

延暦3年(784年)桓武天皇長岡京に遷都せらるるや直ちに奉幣、賀茂下上の二神に従二位を授けらる。

延暦13年(794年)桓武天皇、平安奠都の後正二位勲一等を授けらる。行幸

大同元年(806年)平城天皇賀茂祭を勅祭とす。

弘仁元年(810年)嵯峨天皇、第8皇女有智子内親王を斎院とす。

嘉祥3年(850年)文徳天皇、御即位により奉幣。

寛平元年(889年)宇多天皇、初めて臨時祭を行われる。

延喜の制、名神大社、月次、相嘗、新嘗に預からしめられる。名神祭、祈雨、止雨の奉幣にも預からしめられる。

二十二社の制、整うや上七社の内に列し、祈年穀奉幣に預からしめられた。

長徳3年(997年)一条天皇、神主職を創置せられた。

寛治4年(1090年)堀河天皇、上下両社に不輸田各々600余町を献ぜられた。

後鳥羽上皇、常に祈願を籠めさせられ度々ご参籠あり。

亀山上皇、50日間ご参籠あり、その間上下両社に御百度のご参拝があった。

豊臣秀吉、天下を統一するや、全国の社領50余箇郷をことごとく没収しこれに代えるに2572石の朱印を奉る。

天和2年(1682年)奏事始をご再興あらせられた。

宝永5年(1708年)内裏炎上の際の如き、東山天皇を始め一時当社を行在所としてご避難遊ばされた。

文久3年(1863年孝明天皇、攘夷ご祈願のため行幸あらせられ、関白以下公卿及び征夷大将軍以下閣老諸大夫、在京の諸侯これに供奉した。

明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭者(大祭)に列格。

明治4年1871年)5月14日 官幣大社に列格、官国幣社の首位に置かれた。

昭和23年(1948年)神社本庁別表神社に列格。

 

祭日

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アクセス

バス

自動車

 

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

 

公式ホームページ:

www.shimogamo-jinja.or.jp

 


 

 

平成30年(2018年)3月15日奉拝。