田島神社
天照大神と素戔嗚尊の誓により生まれ出た 多紀理比売命・市杵島比売命・多岐都比売命を主神とする。
かつて大陸への航路を護った社。
ご神紋は「変わり向こう桜」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
佐賀県唐津市にある呼子港の沖約500mに位置する加部島。古くは「壁島」と呼ばれ玄界灘に臨む港にとって天然の防波堤となっている。呼子大橋によって九州島と繋がる。
田島神社は加部島東部の漁港を見守るように鎮座している。穏やかな雰囲気に包まれる。
由緒書
社号標
昭和16年(1941年)2月11日とある。
2月11日は紀元節(現:建国記念の日)であり、記念で建立されたものと想像される。
茂みに覆われようとしていたが、昭和16年以前のものらしき社号標も存在した。
階段を下ると鳥居が出迎える。
昭和16年(1941年)10月に竣工され、東松浦郡の支那事変(日中戦争)従軍者によって奉献された、とのこと。
鳥居の傍らにある灯籠は第32代内閣総理大臣・廣田弘毅の書とある。皇紀2600年(昭和15年・1940年)を記念したものであるようだ。
外務大臣(第49・50・51・55)や内閣総理大臣(第32代)を歴任した廣田。昭和15年当時彼は、米内光政内閣の内閣参議(昭和12年から18年にかけて存在した内閣の諮問機関)を務めていた。この年の10月、大政翼賛会が発足しており、廣田は貴族院無所属倶楽部を組織した。
境内
手水舎
社務所
頼光鳥居
肥前鳥居として佐賀県最古。天元3年(980年)、源頼光が肥前守として下向の際に寄進したもの。田島宮の文字は三跡に数えられる藤原佐理の筆。
楼門前の鳥居
海から参拝することもあったのかもしれない。
獅子狛犬
楼門
拝殿
方3間、入母屋造妻入、廻縁勾欄附で、総蔀戸建の身舎の正面に別の廂屋根を降して向拝とする舞殿風の建築。左に祓殿、右に神饌所を連絡する。
檜皮葺素木造と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。
拝殿前にも獅子狛犬が控える。
中門
一間一戸、向唐破風造、左右に菱組格子窓の透塀を連ねる。
本殿
3間社流造、身舎に廻縁勾欄あり、正面はすべて蔀戸、側面は前の間扉、後の間蔀戸、背面は嵌板張。木階を正面3間幅一杯に取る。
北西に向かって建っており、異国降伏の意を表したものという。
摂社・末社
佐與姫社
拝殿向かって左側に鎮座。大伴狭手彦の妻佐與姫を祀る。大伴狭手彦は勅命により、宣化天皇2年(537年)10月任那を援護するために松浦国篠原の里に滞在した。末社。
御崎社
境内北側に鎮座。級長津彦神、級長津姫神、猿田彦神を祀る。豊臣秀吉の朝鮮出兵にあたり、「小鷹丸」の船首に瑞真榊を立て、大陸に7度の往復をして無事に帰国できたことから、神恩感謝のため、海上安全の御守神として祀ることになったという。
元寇の碇石
蒙古軍船が碇に使用した石。玄海灘の海中より引き揚げられたもの。
太閤祈念石
本殿背後の森の中にある。豊臣秀吉が朝鮮出兵の成功を祈願し、槍で突くと真っ二つに割れたと伝わる。
神社概要
主神:多紀理比売命・市杵島比売命・多岐都比売命
配祀:大山祇神・稚武王
例祭:9月16日
由緒
大同元年(806年)神封16戸を充てられ、正四位上に累進する。
延喜の制、名神大社に列して新年の国幣に預かる。
中世以降、武門の尊崇を受ける。
近世、唐津城主土井氏は祈願所となす。
アクセス
自動車:
- JR唐津駅から 自動車30分
バス:
- 昭和バス 加部島中部バス停から 徒歩3分
出典
田島神社パンフレット