【官国幣社の例祭日】4月篇
官国幣社のうち、4月に例祭日を迎える神社をまとめている。
43社がここに社名を連ねる。
4月3日には、宮中で神武天皇祭が行われる。神宮、諸社では遥拝が行われる。
写真は 橿原市/神武天皇陵 より
4月1日
4月2日
4月3日
梅宮神社 (官中、京都府)
4月4日
広瀬神社 (官大、奈良県)
4月5日
4月7日
4月9日
稲荷神社 (官大、京都府)
4月14日
香取神宮 (官大、千葉県)
4月15日
建部神社 (官大、滋賀県)
熊野坐神社(官大、和歌山県)
諏訪神社上社(官大、長野県)
金鑽神社 (官中、埼玉県)
生田神社 (官中、兵庫県)
4月17日
二荒山神社(国中、栃木県日光)
4月18日
4月21日
4月22日
多賀神社 (官大、滋賀県)
真清田神社(国中、愛知県)
4月23日
度津神社 (国小、新潟県)
4月24日
籠神社 (国中、京都府)
4月27日
尾山神社 (別官、石川県)
4月29日
小御門神社(別官、千葉県)
4月30日
靖国神社 (別官、東京都)
別官は「別格官幣社」を表している。
赤字は勅祭社。
※ リンクは記事を作成次第更新する予定。
田島神社
天照大神と素戔嗚尊の誓により生まれ出た 多紀理比売命・市杵島比売命・多岐都比売命を主神とする。
かつて大陸への航路を護った社。
ご神紋は「変わり向こう桜」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
佐賀県唐津市にある呼子港の沖約500mに位置する加部島。古くは「壁島」と呼ばれ玄界灘に臨む港にとって天然の防波堤となっている。呼子大橋によって九州島と繋がる。
田島神社は加部島東部の漁港を見守るように鎮座している。穏やかな雰囲気に包まれる。
由緒書
社号標
昭和16年(1941年)2月11日とある。
2月11日は紀元節(現:建国記念の日)であり、記念で建立されたものと想像される。
茂みに覆われようとしていたが、昭和16年以前のものらしき社号標も存在した。
階段を下ると鳥居が出迎える。
昭和16年(1941年)10月に竣工され、東松浦郡の支那事変(日中戦争)従軍者によって奉献された、とのこと。
鳥居の傍らにある灯籠は第32代内閣総理大臣・廣田弘毅の書とある。皇紀2600年(昭和15年・1940年)を記念したものであるようだ。
外務大臣(第49・50・51・55)や内閣総理大臣(第32代)を歴任した廣田。昭和15年当時彼は、米内光政内閣の内閣参議(昭和12年から18年にかけて存在した内閣の諮問機関)を務めていた。この年の10月、大政翼賛会が発足しており、廣田は貴族院無所属倶楽部を組織した。
境内
手水舎
社務所
頼光鳥居
肥前鳥居として佐賀県最古。天元3年(980年)、源頼光が肥前守として下向の際に寄進したもの。田島宮の文字は三跡に数えられる藤原佐理の筆。
楼門前の鳥居
海から参拝することもあったのかもしれない。
獅子狛犬
楼門
拝殿
方3間、入母屋造妻入、廻縁勾欄附で、総蔀戸建の身舎の正面に別の廂屋根を降して向拝とする舞殿風の建築。左に祓殿、右に神饌所を連絡する。
檜皮葺素木造と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。
拝殿前にも獅子狛犬が控える。
中門
一間一戸、向唐破風造、左右に菱組格子窓の透塀を連ねる。
本殿
3間社流造、身舎に廻縁勾欄あり、正面はすべて蔀戸、側面は前の間扉、後の間蔀戸、背面は嵌板張。木階を正面3間幅一杯に取る。
北西に向かって建っており、異国降伏の意を表したものという。
摂社・末社
佐與姫社
拝殿向かって左側に鎮座。大伴狭手彦の妻佐與姫を祀る。大伴狭手彦は勅命により、宣化天皇2年(537年)10月任那を援護するために松浦国篠原の里に滞在した。末社。
御崎社
境内北側に鎮座。級長津彦神、級長津姫神、猿田彦神を祀る。豊臣秀吉の朝鮮出兵にあたり、「小鷹丸」の船首に瑞真榊を立て、大陸に7度の往復をして無事に帰国できたことから、神恩感謝のため、海上安全の御守神として祀ることになったという。
元寇の碇石
蒙古軍船が碇に使用した石。玄海灘の海中より引き揚げられたもの。
太閤祈念石
本殿背後の森の中にある。豊臣秀吉が朝鮮出兵の成功を祈願し、槍で突くと真っ二つに割れたと伝わる。
神社概要
主神:多紀理比売命・市杵島比売命・多岐都比売命
配祀:大山祇神・稚武王
例祭:9月16日
由緒
大同元年(806年)神封16戸を充てられ、正四位上に累進する。
延喜の制、名神大社に列して新年の国幣に預かる。
中世以降、武門の尊崇を受ける。
近世、唐津城主土井氏は祈願所となす。
アクセス
自動車:
- JR唐津駅から 自動車30分
バス:
- 昭和バス 加部島中部バス停から 徒歩3分
出典
田島神社パンフレット
住吉神社(福岡県)の摂末社
その摂末社を紹介する。
ご神紋は「左三つ巴」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
摂社・末社
船玉神社・志賀神社
志賀神社は綿津見三神を祀る。海洋の守護神。本殿北側、船玉神社向かって左側に鎮座。
いずれも摂社。
人丸神社・菅原神社
人丸神社は柿本人麻呂を祀る。和歌の神。本殿北側、志賀神社向かって左側に鎮座。
菅原神社は菅原道真公を祀る。学問の神。本殿北側、人丸神社向かって左側に鎮座。
いずれも末社。
稲荷神社
五穀豊穣、商業の神・宇賀乃魂大神を祀る。本殿北東側に鎮座。末社。
御神木・一夜松が傍に生える。
少彦名神社
天津神社
三日恵比寿神社
恵比寿大神を祀る。本殿南側に鎮座。功徳池に囲まれる。
アクセス
バス:
- 西鉄バス 住吉 から 徒歩4分
自動車:
徒歩:
出典
住吉神社パンフレット
公式ホームページ:
平成26年(2014年)6月21日奉拝。
住吉神社(福岡県)
福岡県福岡市博多区に鎮座する神社。
伊弉諾命が黄泉国の汚穢を洗い清めたときに生まれ出た 底筒男命・中筒男命・表筒男命 を主神とする。
神功皇后ゆかりの社。
ご神紋は「左三つ巴」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
福岡市の中心部、かつての那珂川の河口付近に鎮座する。
境内西側の鳥居前には天竜池(汐入池)が広がり、末社・天津社が鎮座する。
社号標
侯爵黒田長成による書とある。
昭和6年9月に奉献されたとのこと。
鳥居から神門まで
第一鳥居は一般的な名神鳥居である。
境内に一歩入れば都会の喧騒を忘れさせる鎮守の森に囲まれる。
第二鳥居も一般的な名神鳥居である。
皇族下乗の碑は大正4年11月10日の建造。大正天皇即位礼の日であった。
手水舎
神門
三間一戸の八脚門、左右の廻廊は各方2間切妻造平正面の建物で内部を小室に区別する。銅板葺。
獅子狛犬
神門前で守りを固める。
拝殿
正面3間、側面3間、入母屋造平入の身舎に、前面三間の向拝を縋らせ、右側面に方2間切妻造平入正面の附属舎を結合し、外妻の桁行1間を神饌所としている。土間床で、正側面を扉、連子等で囲い、背面は吹放。銅板葺。
幣殿
正面1間、側面2間、切妻造妻入で、後部1間板敷で側縁附、前部1間は土間とし吹放で拝殿の背面に結合する。
本殿
慶長5年(1600年)黒田長政の再建と伝える。
住吉造で大阪の住吉神社本殿と同形式であるが、多少相違がある。
桁行4間の内最奥部を内々陣、次の1間を内陣、次の2間を外陣とし、内々陣、内陣正面は扉、外陣正面は左右引戸、同側面にも引戸があり、扉脇の小柱は角柱、基礎に亀腹あり、破風には多少反りを認め、屋根檜皮葺の軒附は二重になっている。建物総体に丹の彩色あることは大阪と同様、内部は一部漆塗を施す。周囲に瑞垣が新築され(昭和10年・1935年)、外陣正面に階段なく、浜床を大きく作り、これより幣殿の板敷部に降りる。大陸を意識させられる地理であるためか西を向く。
社務所
摂社・末社
古代力士像
神社概要
鎮座地:福岡県福岡市博多区住吉
例祭:9月13日(現在10月13日)
由緒
祭神三筒男神は神代の昔伊弉諾尊が、筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓し給ったときに生まれました墨江三前の大神即ち住吉大神である。共に出生せられた綿津見三神、即ち志賀島の鎮座する志賀海神社と共に、阿曇連に齋かれた神と伝え、古来博多湾を隔てて相対峙し、顕著なる由緒を有する。
神功皇后征韓の役に際し、その和魂は玉体に添って寿命を守り、荒魂は先鋒となって船を導き、三韓を服属せしめた。皇后還りますとき、その荒魂を穴門山田邑(現・山口県)なる住吉神社に、和魂をば大津渟名倉の長狭(現・大阪府)なる住吉神社に祀らしめられた。
天平9年(737年)使を遣わし幣を献じて新羅無礼の状を告げた。
延喜の制には名神大社に列して新年の国幣に預かった。
のち筑前国一宮と称し、頼朝、尊氏ら武将の崇敬あり。
黒田長政(福岡藩初代藩主)、福岡城を治するや再興を図り、薬院吉祥院の開山尊秀法印に命じて新たに神殿を建立せしめ、神宮寺たる円福寺を再興せしめた。
黒田忠之(福岡藩第2代藩主)、これを修理し、本地堂を建てた。
明治5年(1872年)県社に列格。
アクセス
バス:
- 西鉄バス 住吉 から 徒歩4分
自動車:
徒歩:
出典
住吉神社パンフレット
公式ホームページ:
平成26年(2014年)6月21日奉拝。
八坂神社の摂末社
その摂末社を紹介する。
ご神紋は「五瓜に唐花」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
摂社・末社
疫神社
疫病除けの神(蘇民将来)を祀る。西楼門を抜けた先に鎮座。
大国主社
本殿西側に鎮座。もと後見殿。
美御前社
本殿東側に鎮座。祭神の三女神。
悪王子社
本殿東側に鎮座。祭神の荒魂。
太田社・白髭社
疫神社の北隣に鎮座。
厳島社
本殿北側に鎮座。
日吉社
境内北東に鎮座。
大神宮社
本殿東側に鎮座。
大年社
本殿西側に鎮座。
北向蛭子社
西楼門から本殿に至る道の途中に鎮座する。
十社
阿蘇社・松尾社・諏訪社・春日社・金峰社・香取社・愛宕社・白山社・熊野社・多賀社を祀る。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車11分
徒歩:
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。
八坂神社
豪華絢爛な祇園祭は全国に知られる。
ご神紋は「五瓜に唐花」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
京都市の主要な東西の通りの一つである四条通の東の突き当たりに鎮座する。ちなみに四条通の西の突き当たりは松尾神社である。
社号標
大正5年5月、山田得多による書とある。嘉永5年(1852)3月讃岐出身の書家で、京都に居したらしい。
西側の楼門。屋根はもともと檜皮葺であったのが本瓦葺に改められている。重要文化財。
南側にも楼門がある。
境内
手水舎
獅子・狛犬
拝殿
正面3間側面3間入母屋造平入、銅板葺素木造。
本殿
社務所
摂社・末社
神社概要
例祭:6月15日
由緒
清和天皇の貞観18年(876年)、常住寺の僧十禅師円如大法師が神の託宣により移し奉ったのを初めとし、その後、藤原基経が威験に感じて精舎を建立した。
天慶5年(942年)6月東遊・走馬十列等を奉って、先に祈念下東西賊徒の奉賽とせしめられた。
天禄3年(972年)6月15日、円融天皇御疱瘡の祈によって御霊会を勅会となし、走馬・勅楽を奉らしめられた。
天延2年(974年)天台別院とせられ、南都興福寺の支配を受けて来た関係を断つ。
延久4年(1072年)3月、後三條天皇稲荷と共に行幸の例を開かれ、この後両社は相共に行幸を催さるるを定めとした。
天治元年(1124年)6月、崇徳天皇御霊祭の奉幣を復して永例とし、之を臨時祭とせられた。
室町時代において、北野とともに将軍家の産土神たるの地位に居り、三代義満の崇仰は深厚を極めた。
江戸時代を通じて朱印領140石を領した。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭社(中祭)に列格。
明治4年(1871年)5月14日 八坂神社と改称、官幣中社に列格。
大正4年(1915年)11月10日 護王神社と改称、官幣大社に昇格。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車11分
徒歩:
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。