住吉神社(福岡県)の摂末社
その摂末社を紹介する。
ご神紋は「左三つ巴」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
摂社・末社
船玉神社・志賀神社
志賀神社は綿津見三神を祀る。海洋の守護神。本殿北側、船玉神社向かって左側に鎮座。
いずれも摂社。
人丸神社・菅原神社
人丸神社は柿本人麻呂を祀る。和歌の神。本殿北側、志賀神社向かって左側に鎮座。
菅原神社は菅原道真公を祀る。学問の神。本殿北側、人丸神社向かって左側に鎮座。
いずれも末社。
稲荷神社
五穀豊穣、商業の神・宇賀乃魂大神を祀る。本殿北東側に鎮座。末社。
御神木・一夜松が傍に生える。
少彦名神社
天津神社
三日恵比寿神社
恵比寿大神を祀る。本殿南側に鎮座。功徳池に囲まれる。
アクセス
バス:
- 西鉄バス 住吉 から 徒歩4分
自動車:
徒歩:
出典
住吉神社パンフレット
公式ホームページ:
平成26年(2014年)6月21日奉拝。
住吉神社(福岡県)
福岡県福岡市博多区に鎮座する神社。
伊弉諾命が黄泉国の汚穢を洗い清めたときに生まれ出た 底筒男命・中筒男命・表筒男命 を主神とする。
神功皇后ゆかりの社。
ご神紋は「左三つ巴」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
福岡市の中心部、かつての那珂川の河口付近に鎮座する。
境内西側の鳥居前には天竜池(汐入池)が広がり、末社・天津社が鎮座する。
社号標
侯爵黒田長成による書とある。
昭和6年9月に奉献されたとのこと。
鳥居から神門まで
第一鳥居は一般的な名神鳥居である。
境内に一歩入れば都会の喧騒を忘れさせる鎮守の森に囲まれる。
第二鳥居も一般的な名神鳥居である。
皇族下乗の碑は大正4年11月10日の建造。大正天皇即位礼の日であった。
手水舎
神門
三間一戸の八脚門、左右の廻廊は各方2間切妻造平正面の建物で内部を小室に区別する。銅板葺。
獅子狛犬
神門前で守りを固める。
拝殿
正面3間、側面3間、入母屋造平入の身舎に、前面三間の向拝を縋らせ、右側面に方2間切妻造平入正面の附属舎を結合し、外妻の桁行1間を神饌所としている。土間床で、正側面を扉、連子等で囲い、背面は吹放。銅板葺。
幣殿
正面1間、側面2間、切妻造妻入で、後部1間板敷で側縁附、前部1間は土間とし吹放で拝殿の背面に結合する。
本殿
慶長5年(1600年)黒田長政の再建と伝える。
住吉造で大阪の住吉神社本殿と同形式であるが、多少相違がある。
桁行4間の内最奥部を内々陣、次の1間を内陣、次の2間を外陣とし、内々陣、内陣正面は扉、外陣正面は左右引戸、同側面にも引戸があり、扉脇の小柱は角柱、基礎に亀腹あり、破風には多少反りを認め、屋根檜皮葺の軒附は二重になっている。建物総体に丹の彩色あることは大阪と同様、内部は一部漆塗を施す。周囲に瑞垣が新築され(昭和10年・1935年)、外陣正面に階段なく、浜床を大きく作り、これより幣殿の板敷部に降りる。大陸を意識させられる地理であるためか西を向く。
社務所
摂社・末社
古代力士像
神社概要
鎮座地:福岡県福岡市博多区住吉
例祭:9月13日(現在10月13日)
由緒
祭神三筒男神は神代の昔伊弉諾尊が、筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓し給ったときに生まれました墨江三前の大神即ち住吉大神である。共に出生せられた綿津見三神、即ち志賀島の鎮座する志賀海神社と共に、阿曇連に齋かれた神と伝え、古来博多湾を隔てて相対峙し、顕著なる由緒を有する。
神功皇后征韓の役に際し、その和魂は玉体に添って寿命を守り、荒魂は先鋒となって船を導き、三韓を服属せしめた。皇后還りますとき、その荒魂を穴門山田邑(現・山口県)なる住吉神社に、和魂をば大津渟名倉の長狭(現・大阪府)なる住吉神社に祀らしめられた。
天平9年(737年)使を遣わし幣を献じて新羅無礼の状を告げた。
延喜の制には名神大社に列して新年の国幣に預かった。
のち筑前国一宮と称し、頼朝、尊氏ら武将の崇敬あり。
黒田長政(福岡藩初代藩主)、福岡城を治するや再興を図り、薬院吉祥院の開山尊秀法印に命じて新たに神殿を建立せしめ、神宮寺たる円福寺を再興せしめた。
黒田忠之(福岡藩第2代藩主)、これを修理し、本地堂を建てた。
明治5年(1872年)県社に列格。
アクセス
バス:
- 西鉄バス 住吉 から 徒歩4分
自動車:
徒歩:
出典
住吉神社パンフレット
公式ホームページ:
平成26年(2014年)6月21日奉拝。
八坂神社の摂末社
その摂末社を紹介する。
ご神紋は「五瓜に唐花」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
摂社・末社
疫神社
疫病除けの神(蘇民将来)を祀る。西楼門を抜けた先に鎮座。
大国主社
本殿西側に鎮座。もと後見殿。
美御前社
本殿東側に鎮座。祭神の三女神。
悪王子社
本殿東側に鎮座。祭神の荒魂。
太田社・白髭社
疫神社の北隣に鎮座。
厳島社
本殿北側に鎮座。
日吉社
境内北東に鎮座。
大神宮社
本殿東側に鎮座。
大年社
本殿西側に鎮座。
北向蛭子社
西楼門から本殿に至る道の途中に鎮座する。
十社
阿蘇社・松尾社・諏訪社・春日社・金峰社・香取社・愛宕社・白山社・熊野社・多賀社を祀る。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車11分
徒歩:
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。
八坂神社
豪華絢爛な祇園祭は全国に知られる。
ご神紋は「五瓜に唐花」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
京都市の主要な東西の通りの一つである四条通の東の突き当たりに鎮座する。ちなみに四条通の西の突き当たりは松尾神社である。
社号標
大正5年5月、山田得多による書とある。嘉永5年(1852)3月讃岐出身の書家で、京都に居したらしい。
西側の楼門。屋根はもともと檜皮葺であったのが本瓦葺に改められている。重要文化財。
南側にも楼門がある。
境内
手水舎
獅子・狛犬
拝殿
正面3間側面3間入母屋造平入、銅板葺素木造。
本殿
社務所
摂社・末社
神社概要
例祭:6月15日
由緒
清和天皇の貞観18年(876年)、常住寺の僧十禅師円如大法師が神の託宣により移し奉ったのを初めとし、その後、藤原基経が威験に感じて精舎を建立した。
天慶5年(942年)6月東遊・走馬十列等を奉って、先に祈念下東西賊徒の奉賽とせしめられた。
天禄3年(972年)6月15日、円融天皇御疱瘡の祈によって御霊会を勅会となし、走馬・勅楽を奉らしめられた。
天延2年(974年)天台別院とせられ、南都興福寺の支配を受けて来た関係を断つ。
延久4年(1072年)3月、後三條天皇稲荷と共に行幸の例を開かれ、この後両社は相共に行幸を催さるるを定めとした。
天治元年(1124年)6月、崇徳天皇御霊祭の奉幣を復して永例とし、之を臨時祭とせられた。
室町時代において、北野とともに将軍家の産土神たるの地位に居り、三代義満の崇仰は深厚を極めた。
江戸時代を通じて朱印領140石を領した。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭社(中祭)に列格。
明治4年(1871年)5月14日 八坂神社と改称、官幣中社に列格。
大正4年(1915年)11月10日 護王神社と改称、官幣大社に昇格。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車11分
徒歩:
出典
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。
護王神社
旧別格官幣社。
皇統を護持した忠臣 和気清麿朝臣 と 和気広蟲 を主神とする。
ご神紋は「向かい四つ藤」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
御所西側の蛤門の近く、京都市の主要な南北の通りの一つである烏丸通に接して鎮座する。
社号標
鳥居は一般的な名神鳥居である。
狛猪
和気清麿が宇佐へ配流の際に道鏡から送り込まれた刺客に襲われたが、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説にちなみ、明治23年(1890年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれている。
境内
神門と手水舎
拝殿
正面3間側面2間入母屋造妻入、檜皮葺素木造。
祝詞舎
向唐門、檜皮葺素木造。
本殿
1間社流造、檜皮葺素木造。写真では祝詞舎の奥。東を向く。
神饌所。祝詞舎に接する。
摂社・末社
手前から
警察消防招魂社、久邇宮家御霊殿、祖霊社
吉井勇歌碑
吉井 勇(よしい いさむ(1886(明治19年)10月18日- 1960年(昭和35年)11月19日)は大正から昭和にかけての歌人・脚本家。
和気清麿公像
さざれ石
神社概要
主神:和気清麿朝臣、和気広蟲
配祀:藤原百川、路豊永
例祭:4月4日
祭神
和気 清麿(わけ の きよまろ)は備前国藤野郡の出身。奈良時代の末に皇位を奪おうとした弓削道鏡の野望を、その身を賭してこれを挫き、万世一系の皇統を護持した。また、桓武天皇の御代には平安京への遷都を献策し、造宮大夫(剣民部卿)に任ぜられて都造りに精魂を傾けた。
従三位行民部卿兼造宮大夫美作備前国造。薨去後、贈正三位。明治31年(1898年)には薨後1100年を記念し贈正一位となった。
和気 広蟲(わけ の ひろむし)は和気清麿の姉。孝謙天皇に仕えた。孤児の養育に励む。
由緒
初め山城国葛野郡梅ヶ畑村高尾山にある神護寺の境内にあった清麿を祀る霊社に対し、嘉永4年(1851年)3月15日に正一位護王大明神の神階並びに神号を宣下された。
明治7年(1874年)12月22日 護王神社と改称、別格官幣社に列格。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車10分
徒歩:
- 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅 から 徒歩8分
出典
護王神社パンフレット
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。