護王神社
旧別格官幣社。
皇統を護持した忠臣 和気清麿朝臣 と 和気広蟲 を主神とする。
ご神紋は「向かい四つ藤」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
御所西側の蛤門の近く、京都市の主要な南北の通りの一つである烏丸通に接して鎮座する。
社号標
鳥居は一般的な名神鳥居である。
狛猪
和気清麿が宇佐へ配流の際に道鏡から送り込まれた刺客に襲われたが、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説にちなみ、明治23年(1890年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれている。
境内
神門と手水舎
拝殿
正面3間側面2間入母屋造妻入、檜皮葺素木造。
祝詞舎
向唐門、檜皮葺素木造。
本殿
1間社流造、檜皮葺素木造。写真では祝詞舎の奥。東を向く。
神饌所。祝詞舎に接する。
摂社・末社
手前から
警察消防招魂社、久邇宮家御霊殿、祖霊社
吉井勇歌碑
吉井 勇(よしい いさむ(1886(明治19年)10月18日- 1960年(昭和35年)11月19日)は大正から昭和にかけての歌人・脚本家。
和気清麿公像
さざれ石
神社概要
主神:和気清麿朝臣、和気広蟲
配祀:藤原百川、路豊永
例祭:4月4日
祭神
和気 清麿(わけ の きよまろ)は備前国藤野郡の出身。奈良時代の末に皇位を奪おうとした弓削道鏡の野望を、その身を賭してこれを挫き、万世一系の皇統を護持した。また、桓武天皇の御代には平安京への遷都を献策し、造宮大夫(剣民部卿)に任ぜられて都造りに精魂を傾けた。
従三位行民部卿兼造宮大夫美作備前国造。薨去後、贈正三位。明治31年(1898年)には薨後1100年を記念し贈正一位となった。
和気 広蟲(わけ の ひろむし)は和気清麿の姉。孝謙天皇に仕えた。孤児の養育に励む。
由緒
初め山城国葛野郡梅ヶ畑村高尾山にある神護寺の境内にあった清麿を祀る霊社に対し、嘉永4年(1851年)3月15日に正一位護王大明神の神階並びに神号を宣下された。
明治7年(1874年)12月22日 護王神社と改称、別格官幣社に列格。
アクセス
バス:
自動車:
- JR京都駅 から 自動車10分
徒歩:
- 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅 から 徒歩8分
出典
護王神社パンフレット
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月14日奉拝。
日枝神社
東京都千代田区に鎮座する神社。
准勅祭社、旧官幣大社。
山の地主神 大山咋神 を主神とする。
皇居の鬼門を護る社。
ご神紋は「左三つ巴」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
境内まで
総理大臣官邸・国会議事堂などの重要施設に隣接して鎮座する。皇居の南東(裏鬼門)に当たる地である。
社号標
元帥海軍大将正二位大勲位功一級伯爵 東郷平八郎による書とある。
東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12年12月(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は薩摩藩士、海軍軍人。
薩英戦争で初陣を迎え、戊辰戦争では阿波沖海戦、函館戦争で戦った。明治4年(1871年)から11年(1878年)まで海軍士官としてイギリスに官費留学、国際法を学ぶ。後年の高陞号撃沈事件においてその真価が発揮された。佐世保鎮守府司令長官(第9代)、舞鶴鎮守府司令長官(初代)を歴任。日露戦争にあたっては第一艦隊兼連合艦隊司令長官(第3・4代)に任命され、日本海海戦において勝利を飾る。以降、海軍軍令部部長(第8代)、東宮御学問所総裁を歴任。明治39年(1906年)に日露戦争の功によって大勲位菊花大授賞と功一級金鵄勲章を授与される。翌年明治40年(1907年)には伯爵を授爵。大正2年(1913年)には元帥府に列せられた。喉頭癌、膀胱結石、神経痛、気管支炎の悪化により昭和9年(1934年)死去。国葬が執り行われた。
Time誌において表紙を飾った初の日本人でもある。
鳥居から楼門まで(表参道)
鳥居
境内入り口を示す鳥居。山王鳥居である。明神鳥居の上に合掌、あるいは破風のようなものをつくってあるのが特徴。
急勾配の階段は一直線に参拝者を楼門へと導く。
宝物殿と手水舎
階段を登りきった左手に宝物殿と手水舎がある。
楼門
楼門は三門一戸、左右に廻廊がある。屋根は銅板の瓦棒葺。
拝殿
正面7間、側面3間で廻廊・勾欄は、内部は前面1間通の部分と、その後方奥行2間を中央と左右脇の三部、計四区に分かれる。入母屋造平入で、正面に3間の向拝を縋破風にて葺きおろし、向千鳥破風及び軒唐破風を造る。
東京大空襲にて焼失したため昭和33年(1958年)再建。
本殿・幣殿
本殿 は正面3間、側面3間、廻縁、勾欄を有し、内陣・中陣・外陣に分かれ、入母屋造平入。銅瓦棒葺。東を向く。
幣殿 は正面3間、側面3間、廻縁、勾欄をそなえ、右側後方神饌所に連絡する渡廊を連ね、屋根は両下造。
末社
八坂神社・猿田彦神社、山王稲荷神社
境内北側に鎮座。
山王稲荷神社は東京大空襲の際に焼失は免れた万治2年から伝わる社殿。
鳥居から楼門まで(南参道)
鳥居
境内入り口を示す鳥居。
山王鳥居である。明神鳥居の上に合掌、あるいは破風のようなものをつくってあるのが特徴。エスカレーターを使って境内に到達できる。
神社概要
鎮座地:東京都千代田区永田町
主神:大山咋神
配祀:国常立神・足仲彦尊・伊奘冉神
例祭:6月15日
祭神
由緒
文明年間(1469 - 1486年)太田道灌、江戸城築城にあたり川越山王社を勧請する。
天正18年(1590年)徳川家康入城後、紅葉山に遷し、更に社地を半蔵門外に定めて遷移し、別当・神主を定める。
明暦3年(1657年)大火に御宇烏有に帰するや、直ちに赤坂溜池の現社地に新造する。
万治2年(1659年)将軍家綱のときに遷座の式を仰ぐ。
明治元年(1868年)勅祭社に準ぜられる。
明治3年(1870年)2月9日 神祇官準勅祭社に列格。
昭和20年(1945年)東京大空襲により社殿を焼失。
昭和30年(1955年)「昭和御造営」により社殿再建。
アクセス
自動車:
- JR新橋駅 から 自動車6分ほど
徒歩:
出典
日枝神社パンフレット
公式ホームページ:
平成30年(2018年)3月28日奉拝。
【官国幣社の例祭日】11月篇
官国幣社のうち、11月に例祭日を迎える神社をまとめている。
11月23日に新嘗祭が執り行われる。五穀の収穫を感謝する宮中祭祀であり、全国の神社でも同日に新嘗祭が行われる。このような大きな祭を控えるためか、11月に例祭を迎える神社は11社と、先月の53社に比べかなり少ない。
写真は 神宮ホームページ より
11月1日
都々古別神社(国中、福島県・八規)→12月第2土曜日
11月3日
明治神宮 (官大、東京都)
11月4日
11月5日
都農神社 (国小、宮崎県)→12月5日
11月9日
11月10日
11月15日
宗像神社 (官大、福岡県)→10月2日
竃門神社 (官小、福岡県)
11月17日
11月28日
吉備津神社(国小、鹿児島県)→11月23日前後
別官は「別格官幣社」を表している。
赤字は勅祭社。
※ リンクは記事を作成次第更新する予定。
海神神社の摂末社
その摂末社を紹介する。
ご神紋は「十六菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
摂社・末社
行先殿神社
摂社。楼門向かって右手に鎮座。濱殿の御子と乳母も共に祀られている模様。
一宮神社・若宮神社・新霊社・今宮神社
奥から、海神神社本殿、行先殿神社に続き題の通りの順で末社が鎮座する。
一宮神社には白鬚神・御先駈神・飛﨑神が合わせて祀られる。
若宮神社には瓊宮神・五三神が合わせて祀られる。
新霊社には金倉神、貴船神が合わせて祀られる。
今宮神社には寶満神、濱殿神、左廳神、美女神、天道神が合わせて祀られる。
アクセス
バス:
- 厳原港から比田勝方面で1時間、「三根」で乗換え、青海行き(15分)神社前
自動車:
- 厳原港から1時間10分
出典
海神神社パンフレット
平成29年(2017年)9月29日奉拝。
海神神社
神功皇后ゆかりの社。
ご神紋は「十六菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。
参道と境内
参道
対馬市中心部からは1時間10分ほど。島内に鉄道はなく、公共交通機関でのアクセスはバスのみに限られる。
一の鳥居から三の鳥居まで
一の鳥居
境内入り口を示す一の鳥居。名神鳥居。
社号標
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は愛知県出身の海軍軍人。
海軍兵学校24期(成績は3位)。フランス大使館附武官、軍務局長、第3戦隊司令官、海軍次官、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官(第27代)などを歴任。昭和6年(1931年)には海軍大臣(第34代・犬養毅内閣)となる。五・一五事件にて引責辞任するも、昭和8年(1933年)に海軍大臣(第36・37代)の座に復帰。昭和11年(1936年)の二・二六事件後、軍事参議官。中国視察のために乗り込んだ飛行機の墜落事故により死亡。
海軍大将正二位勲一等旭日桐花大綬章男爵。
社務所と宝物館
鳥居左手には社務所と宝物館。
社務所は基本的に無人の様子。御朱印をいただきたく、事前に何度も電話をするも繋がらず、いただけないものと覚悟を決めていた。ところが、たまたま清掃を終えお帰りになろうとする神職の方に境内で遭遇、帰り際に引き止める身勝手さを恥じながらも声をかけると快く御朱印をいただけた。
いただいたパンフレットには電話番号が記載されてあり、御朱印をいただきたい方は事前に連絡をすることをお勧めする。
0920-83-0137(神社)
0920-58-0155(宮司宅)
宝物館は予約があれば200円で拝観できる。
義勇奉公の碑。
参道脇に佇む祭魂社。
手水舎
二の鳥居
一の鳥居と同じ明神鳥居。
獅子狛犬
二の鳥居両脇に佇む。
三の鳥居までは長い階段が続く。
三の鳥居
一の鳥居と同じ明神鳥居。
拝殿
方3間吹放の舞殿風建物で入母屋造妻入の桟瓦葺。
幣殿
桁行3間渡廊式。
本殿
3間社流造檜皮葺。奥行3間の身舎に縁を巡らし、正側三方に勾欄を附す。大陸を意識させられる地理であるためか西を向く。
と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。
神饌所
摂社・末社
神社概要
主神:豊玉姫命
配祀:彦火火出見命、鵜茅草葺不合命、宗像神、道主貴神
例祭:8月5日
由緒
神功皇后、新羅征討終わって還御の途、上県郡佐賀村に至り、旗八旒を納めて新羅を鎮める験とせられ、その地に神功皇后及び宗形神を祀る。今の佐賀村八幡である。その後、旗八旒を木坂山に遷して神功皇后を祀ってより佐賀村宗形社を木坂八幡宮(本社)の末社としたとされる。創祀の年月は定かではない。
承和4年(837年)従五位上に叙せられる。
アクセス
バス:
- 厳原港から比田勝方面で1時間、「三根」で乗換え、青海行き(15分)神社前
自動車:
- 厳原港から1時間10分
出典
海神神社パンフレット
平成29年(2017年)9月29日奉拝。