神社奉拝

官国幣社巡りの記憶

海神神社の摂末社

長崎県対馬市峰町木坂に鎮座する海神神社

その摂末社を紹介する。

 

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ご神紋は「十六菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

摂社・末社

行先殿神社

摂社。楼門向かって右手に鎮座。濱殿の御子と乳母も共に祀られている模様。

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一宮神社・若宮神社・新霊社・今宮神社

奥から、海神神社本殿、行先殿神社に続き題の通りの順で末社が鎮座する。 

一宮神社には白鬚神・御先駈神・飛﨑神が合わせて祀られる。

若宮神社には瓊宮神・五三神が合わせて祀られる。

新霊社には金倉神、貴船神が合わせて祀られる。

今宮神社には寶満神、濱殿神、左廳神、美女神、天道神が合わせて祀られる。

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アクセス

バス

  • 厳原港から比田勝方面で1時間、「三根」で乗換え、青海行き(15分)神社前

自動車

  

 

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出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

海神神社パンフレット

 

平成29年(2017年)9月29日奉拝。

海神神社

長崎県対馬市に鎮座する神社。

対馬国一宮、旧国幣中社

初代天皇神武天皇の祖母 豊玉姫命 を主神とする。

神功皇后ゆかりの社。

 

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ご神紋は「十六菊」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

 

参道と境内

参道

対馬市中心部からは1時間10分ほど。島内に鉄道はなく、公共交通機関でのアクセスはバスのみに限られる。

 

一の鳥居から三の鳥居まで 

一の鳥居

境内入り口を示す一の鳥居。名神鳥居。

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社号標

昭和9年5月海軍記念日海軍大臣大角岑生による書とある。

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大角 岑生おおすみ みねお、明治9年(1876年5月1日 - 昭和16年(1941年2月5日は愛知県出身の海軍軍人

海軍兵学校24期(成績は3位)。フランス大使館附武官、軍務局長、第3戦隊司令官海軍次官、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官(第27代)などを歴任。昭和6年(1931年)には海軍大臣(第34代・犬養毅内閣)となる。五・一五事件にて引責辞任するも、昭和8年(1933年)に海軍大臣(第36・37代)の座に復帰。昭和11年(1936年)の二・二六事件後、軍事参議官。中国視察のために乗り込んだ飛行機の墜落事故により死亡。

海軍大将正二位勲一等旭日桐花大綬章男爵。

 

社務所と宝物館

鳥居左手には社務所と宝物館。

社務所は基本的に無人の様子。御朱印をいただきたく、事前に何度も電話をするも繋がらず、いただけないものと覚悟を決めていた。ところが、たまたま清掃を終えお帰りになろうとする神職の方に境内で遭遇、帰り際に引き止める身勝手さを恥じながらも声をかけると快く御朱印をいただけた。

いただいたパンフレットには電話番号が記載されてあり、御朱印をいただきたい方は事前に連絡をすることをお勧めする。

0920-83-0137(神社)

0920-58-0155(宮司宅)

宝物館は予約があれば200円で拝観できる。

 

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義勇奉公の碑。

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参道脇に佇む祭魂社。

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手水舎

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二の鳥居

一の鳥居と同じ明神鳥居。

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獅子狛犬

二の鳥居両脇に佇む。

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 三の鳥居までは長い階段が続く。

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三の鳥居

一の鳥居と同じ明神鳥居。 

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拝殿

方3間吹放の舞殿風建物で入母屋造妻入の桟瓦葺。

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幣殿

桁行3間渡廊式。

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本殿 

3間社流造檜皮葺。奥行3間の身舎に縁を巡らし、正側三方に勾欄を附す。大陸を意識させられる地理であるためか西を向く。

と『神道大辞典』にはあるが、銅板葺であるように見える。維持管理に耐えられず、変更があったのであろうか。

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神饌所

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摂社・末社

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神社概要

鎮座地長崎県対馬市峰町木坂

社格対馬国一宮、旧国幣中社

主神豊玉姫命

配祀彦火火出見命、鵜茅草葺不合命、宗像神、道主貴神

例祭:8月5日

 

由緒

神功皇后新羅征討終わって還御の途、上県郡佐賀村に至り、旗八旒を納めて新羅を鎮める験とせられ、その地に神功皇后及び宗形神を祀る。今の佐賀村八幡である。その後、旗八旒を木坂山に遷して神功皇后を祀ってより佐賀村宗形社を木坂八幡宮(本社)の末社としたとされる。創祀の年月は定かではない。

 

承和4年(837年)従五位上に叙せられる。

貞観元年(859年)従五位上に叙せられる。

貞観12年(870年)正五位下に叙せられる。

明治4年1871年)5月14日 国幣中社に列格。

昭和23年(1948年)神社本庁別表神社に列格。

 

アクセス

バス

  • 厳原港から比田勝方面で1時間、「三根」で乗換え、青海行き(15分)神社前

自動車

 

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

海神神社パンフレット

 

平成29年(2017年)9月29日奉拝。

【官国幣社の例祭日】10月篇

国幣社のうち、10月に例祭日を迎える神社をまとめている。

 

55社がここに社名を連ねる。

日本において秋は収穫の時期であり、宮中祭祀では10月17日に神嘗祭を執り行いその年の初穂を天照大御神に奉納する。伊勢の神宮では同日に御装束・御器具を一新する。

農業と祭祀は密接に結びついており、このため各地の神社もこの時期に祭日を設けたのではないだろうか。

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写真は 神宮ホームページ より

 

 

ここには朝鮮・台湾・南洋群島といった旧外地にかつて存在した神社も多く見受けられ、例祭日も集中している。これについては各項目で考察する。

 

 

10月1日

豊栄神社 (別官、山口県

 

10月2日

平壌神社 (国小、平安南道

 

10月7日

赤間神宮 (官大、山口県

 

10月8日

丹生川上神社上社(官大、奈良県

田村神社 (国中、香川県

諏訪神社 (国中、長崎県

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10月9日

大神山神社(国小、鳥取県

物部神社 (国小、島根県

劔神社  (国小、福井県

 

10月10日

梨木神社 (別官、京都府

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若狭彦神社上社(国中、福井県

金刀比羅宮(国中、香川県

福井神社(別官、福井県

 

10月11日

海神社  (官中、兵庫県

安仁神社 (国中、岡山県)→10月第2土曜日

大縣神社 (国中、愛知県)

 

10月12日

佐嘉神社 (別官、佐賀県

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速谷神社 (国中、広島県

 

10月13日

北畠神社 (別官、三重県

高良神社 (国大、福岡県)

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10月14日

熊野神社 (国大、島根県

全州神社 (国小、全羅北道

 

10月15日

熊野速玉神社(官大、和歌山県

伊太祁曽神社(官中、和歌山県

酒列磯前神社(国中、茨城県)→8月25日

伊和神社 (国中、兵庫県

伊曽乃神社(国中、愛媛県

枚聞神社 (国小、鹿児島県)

江原神社 (国小、江原道)

大邱神社 (国小、慶尚北道

光州神社 (国小、全羅南道

 

10月16日

丹生川上神社中社(官大、奈良県

丹生都比売神社(官大、和歌山県

龍頭山神社(国小、慶尚南道

 

10月17日

朝鮮神宮 (官大、京畿道)

南洋神社 (官大、パラオ諸島

咸興神社 (国小、咸鏡南道

神嘗祭の日であり、以上の三社はいずれも天照大神を祀ることからこの日となったのではないか。

 

10月18日

長田神社 (官中、兵庫県

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吉備津神社(官中、岡山県)→10月第2日曜日

京城神社 (国小、京畿道)

 

10月19日

忌部神社 (国中、徳島県

 

10月20日

出石神社 (国中、兵庫県

 

10月21日

二荒山神社(国中、栃木県)※ 宇都宮市

出雲神社 (国中、京都府

 

10月23日

靖国神社 (別官、東京都)→10月18日

吉備津彦神社(国小、岡山県)→10月第3日曜日

 

10月25日

唐沢山神社(別官、栃木県)

 

10月26日

宮崎神宮 (官大、宮崎県)

 

10月28日

台湾神宮 (官大、台北州

台南神社 (官中、台南州

照国神社 (別官、鹿児島県)

新竹神社 (国小、新竹州

台中神社 (国小、台中州

嘉義神社 (国小、台中州

台湾に鎮座していた5社はいずれも北白川宮能久親王を祀る。能久親王近衛師団長として台湾出征時に陣没した。国葬時から神社奉斎の世論が起こったため所縁の台湾の地に台湾神宮や台南神社が創建された。能久親王の命日が10月28日であったため、これらの神社の例祭日も10月28日になったものと想像される。

 

10月29日

香椎宮  (官大、福岡県)

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官大は「官幣大社」、国大は「国幣大社」、

官中は「官幣中社」、国中は「国幣中社」、

官小は「官幣小社」、国小は「国幣小社」、

別官は「別格官幣社」を表している。

赤字は勅祭社。

 

 

※ リンクは記事を作成次第更新する予定。

勅祭社

勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、勅使が参向して祭祀が執行される神社のことで、正式には勅使参向の神社という。

 

勅祭に預かる神社は古くからあり、二十二社などがその代表であるが、近代になってからの正式な勅祭社は、明治元年(1868)10月に勅祭の神社と決定された氷川神社である。(中略)

現在に至る勅祭社が正式に治定されたのは、明治16年賀茂祭および石清水祭が勅祭と定められた賀茂御祖神社賀茂別雷神社および石清水(男山)八幡宮が最初である。その後、春日神社、氷川神社熱田神宮橿原神宮出雲大社明治神宮、朝鮮神宮、靖国神社宇佐神宮香椎宮鹿島神宮香取神宮平安神宮近江神宮が勅祭社となっている。

現在の勅祭社は消滅した朝鮮神宮を除く前記の16社であるが、このうち宇佐神宮香椎宮は10年ごと、鹿島神宮香取神宮は6年ごとに勅使が差遣され、また靖国神社には春秋2度の大祭に勅使が差遣されている。

 *1

 

延喜式』に見られるように古来より諸大社は全国にあったが、平安後期になると律令制の衰退とともに遠隔の諸大社への奉幣は避けられ、逆にそのために京に近い神社が有力氏族や民衆の崇敬を集めて固定化され、新たな社格ともいえる二十二社が制度として成立した。しかしこれも室町後期に朝廷の奉幣が中断、江戸時代に何度か再興が試みられたが果たされなかった。

その後、国学の隆盛と復古神道の機運の高まりを受けて明治維新が成ると、1868年(明治元年)、明治天皇氷川神社の祭事を勅祭として行った。これが近代の勅祭社の始まりである。明治3年には東京とその附近の12社を准勅祭社と定めた。これらは一時的なものであったが、1883年(明治16年)、賀茂神社賀茂御祖神社賀茂別雷神社)の賀茂祭葵祭)、石清水八幡宮の石清水祭が勅祭と定められて今日につながる勅祭社となり、以降はその数を増やしていった。

*2

 

国幣社を紹介する本ブログであるが、勅祭社の全てが官国幣社となっていることから記事とした。靖国神社を除いた全てが旧官幣大社である。

 

勅祭社の一覧

(  )内の年号は勅祭社に治定せられた日付である。

官大は「官幣大社」を、別官は「別格官幣社」を示す。

 

賀茂別雷神社

(式内名神山城国一宮、二十二社、官大、四方拝、明治16・09・02)

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賀茂御祖神社

(式内名神山城国一宮、二十二社、官大、京都府、明治16・09・02)

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石清水八幡宮二十二社、官大、京都府四方拝、明治16・09・02)

春日神(式内名神二十二社、官大、奈良県、明治18・04・06)

氷川神社(式内名神武蔵国一宮、官大、埼玉県、四方拝、明治25・06・23)

香取神宮(式内名神下総国一宮、官大、千葉県、四方拝、昭和16・12・23)

鹿島神宮(式内名神常陸国一宮、官大、茨城県四方拝、昭和16・12・23)

熱田神宮(式内名神、官大、愛知県、四方拝、大正6・02・01)

出雲大社(式内名神出雲国一宮、官大、島根県、大正6・02・01)

宇佐神宮(式内名神豊前国一宮、官大、大分県、大正14・02・05)

 

香椎宮

(官大、福岡県、大正14・02・05)

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橿原神宮(官大、奈良県、大正6・02・01)

 

平安神宮

(官大、京都府、昭和20・12・15)

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明治神宮(官大、東京都、大正9・10・15)

朝鮮神宮(官大、京畿道、大正14・09・14)

近江神宮(官大、滋賀県、昭和20・12・15)

靖国神社(別官、東京都、明治2・06・23)

 

 

※ リンクは記事を作成次第更新する予定。

*1:神道辞典』より

*2:wikipediaの記述より 

賀茂別雷神社

京都府京都市に鎮座する神社。上賀茂神社とも称される。

式内名神二十二社(上七社)、山城国一宮、旧官幣大社

別雷命 を祀る。

勅祭社であり、毎年例祭に勅使を迎える皇室ゆかりの社。

 

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ご神紋は「花付き二葉葵」(ご神紋の画像は家紋市場より)。

 

  

参道と境内

境内まで

鴨川のほとりに佇む古社。

一の鳥居前にはロータリーが整備されており、京都市バスの停留所もある。

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鳥居から楼門まで

一の鳥居

境内入り口を示す一の鳥居は朱塗り。名神鳥居。

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二の鳥居までは白砂の敷かれた参道が一直線に参拝者を誘う。

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外幣殿

参道右手に見えるのは外幣殿。

桁行5間、梁行3間、入母屋造檜皮葺で東側梁行1間通りを土間、その他を板敷とし、板敷部分の三方に縁をめぐらせる。法皇上皇行幸、摂政関白の賀茂詣の節の着到殿であった。また競馬会の際の諸役著座する馬場殿でもあった。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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二の鳥居

二の鳥居。同じく名神鳥居。

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二の鳥居をくぐり抜けると、建物群が迎える。

 

楽屋

二の鳥居を抜けてすぐ近くの建物。寛永5年(1628年)建造。重要文化財。檜皮葺。

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土屋

神主以下の着到殿として用いられた。寛永5年(1628年)建造。重要文化財

桁行5間、梁行2間、入母屋造、土間砂敷である。檜皮葺。

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橋殿(舞殿)

勅使の拝殿。

桁行6間、梁行1間、正面桁行1間を土間とし、板敷左右側に縁勾欄を附す。入母屋造妻入。檜皮葺。

文久2年(1863年)建造。重要文化財

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細殿

天皇及び太上天皇の御着到殿に充てられた。

桁行5間、梁行2間、入母屋造、板敷、廻廊勾欄を有する。檜皮葺。

細殿の前に設けられた立砂は白砂をきれいな円錐形に盛り上げたもので、賀茂別雷神が降臨したといわれる「神山」(こうやま)をかたどり、神を招く憑代の役割を果たしている。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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手水舎

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楼門

楼門は三門三戸(格子戸)、東西廻廊は土間単廊で、桁行それぞれ9間。檜皮葺。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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中門

一間一戸四脚門、左右に東局及び西局を接結し、いずれも正面8間、側面2間の板敷、廻廊の位置に相当する。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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幣殿

忌子の伺候所であった忌子殿につながる。

寛永5年(1628年)建造。重要文化財

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本殿

流造の代表的なものとして常に挙げられ、古格を伝える形式を示す。

造営の初記録は天武天皇6年(677年)とあり、長元9年(1036年)以降、21年式年造営の儀を勅定されたという。一時式年の制が衰え、延滞することもあったが、文久3年(1863年)の造営に再び21年毎造営の制を仰出された。

正面3間、側面2間、内陣、外陣の区別はない。廻廊勾欄附きで千木、鰹木をそなえない。檜皮葺。右側に並び建つ権殿は同尺かつ同形式。

賀茂御祖神社神殿に酷似するが、勾欄、木階が素木造(賀茂御祖神社は朱漆塗)、正面扉両脇の間の嵌板に狩野風の獅子狛犬の絵を描く(賀茂御祖神社は絵なし)。南を向く。

国宝に指定されている。

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勅使殿・社務所

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摂社・末社

須波神社

摂社。楼門向かって右手に鎮座。

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新宮神社

摂社。本殿右手に鎮座。

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奈良神社

摂社。庁屋の後ろに控える形で鎮座。

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棚尾社

末社。 中門前右手に鎮座。

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川尾社

末社。楼門前右手に鎮座。

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橋本社

末社。楼門前左手に鎮座。

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山尾神社

末社。新宮神社に隣接して鎮座。

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岩本神社

末社

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山森神社

末社。梶田神社と並んで鎮座。

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梶田神社

末社。山森神社と並んで鎮座。

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片岡社

楼門向かって右手に鎮座。

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沢田社

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神宮遥拝所

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ならの小川についての碑 

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願い石(陰陽石

池の底から出土したという。

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神社概要

鎮座地京都府京都市北区上賀茂本山

社格:式内名神二十二社(上七社)、山城国一宮、旧官幣大社、勅祭社

祭神:別雷命

例祭:5月15日

 

祭神

別雷命

賀茂建角身命の御子である建玉依姫が賀茂川の辺に遊びなさったとき、川上より丹塗矢が流れて来たので取って床辺に置き、孕んで男子が産まれた。建角身命はその父を知ろうとして、その御子に杯を持たせ、汝の父と思う人にこの酒をを飲ませよ、と言われたところ、御子は屋甍を破って天に昇ったため、御子を別雷命と称した。

 

 

由緒

神武天皇の御宇、賀茂山の麓の御阿礼所に降臨なさり、天武天皇6年(677年)山城国をして現今の地に社殿を造営せしめられたと伝わる。

 

欽明天皇のとき、山城国をして賀茂祭を行わしめる。

神亀3年(726年)聖武天皇、初めて臨時の奉幣。

天平勝宝2年(750年)孝謙天皇、御戸代田1町を神領として充て奉る。

天応元年(781年)光仁天皇、賀茂二社の禰宜祝に把笏の儀を許される。

延暦3年(784年)桓武天皇長岡京に遷都せらるるや直ちに奉幣、賀茂下上の二神に従二位を授けらる。

延暦13年(794年)桓武天皇、平安奠都の後正二位勲一等を授けらる。行幸

大同元年(806年)平城天皇賀茂祭を勅祭とす。

弘仁元年(810年)嵯峨天皇、第8皇女有智子内親王を斎院とす。

嘉祥3年(850年)文徳天皇、御即位により奉幣。

寛平元年(889年)宇多天皇、初めて臨時祭を行われる。

延喜の制、名神大社、月次、相嘗、新嘗に預からしめられる。名神祭、祈雨、止雨の奉幣にも預からしめられる。

二十二社の制、整うや上七社の内に列し、祈年穀奉幣に預からしめられた。

長徳3年(997年)一条天皇、神主職を創置せられた。

寛治4年(1090年)堀河天皇、上下両社に不輸田各々600余町を献ぜられた。

後鳥羽上皇、常に祈願を籠めさせられ度々ご参籠あり。

亀山上皇、50日間ご参籠あり、その間上下両社に御百度のご参拝があった。

豊臣秀吉、天下を統一するや、全国の社領50余箇郷をことごとく没収しこれに代えるに2572石の朱印を奉る。

天和2年(1682年)奏事始をご再興あらせられた。

宝永5年(1708年)内裏炎上の際の如き、東山天皇を始め一時当社を行在所としてご避難遊ばされた。

文久3年(1863年孝明天皇、攘夷ご祈願のため行幸あらせられ、関白以下公卿及び征夷大将軍以下閣老諸大夫、在京の諸侯これに供奉した。

明治3年(1870年)2月9日 神祇官勅祭者(大祭)に列格。

明治4年1871年)5月14日 官幣大社に列格、官国幣社の首位に置かれた。

昭和23年(1948年)神社本庁別表神社に列格。

 

祭日

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アクセス

バス

自動車

 

 

 

 

出典

神道大辞典』平凡社昭和12年

 

公式ホームページ:

www.shimogamo-jinja.or.jp

 


 

 

平成30年(2018年)3月15日奉拝。